ページ

2015年11月11日水曜日

クリエイター支援で地域活性化に!

地方都市の活性化が大きな問題になっています。私はさいたま市に住んでいますが、ここも東京から見たら地方都市です。東京は一見活性化しているように見えますが、実際は千代田区、港区、渋谷区、新宿区などの一部の地域に限定されているように思います。荒川区などは地方都市と同様に高齢者問題と空家問題などを抱え込んでいるようです。活性化しているエリアもビジネスが集中しているだけで住環境としての活性化は別の事だと思います。さいたま市ですが旧浦和市に関してだけでもJRだけで6つの駅があり新宿、渋谷までは30分圏内という立地の良さです。そしてビジネスで車を使うにも、首都高、東北道、外環道を通じて東名、中央道、関越道と全方面に対して高速移動手段が網羅されている地域も珍しいかと思います。しかし、この地域にも新しい仕事の目が誕生されていないように思います。これはベットタウンという宿命でしょうか。都心までの利便性の為、住む人は多くなりますが、仕事自体は都心に。そして買い物も都心でというようになるからかもしれません。ベットタウンという環境は仕事をする環境を得られている時は何も問題ないように思います。しかし、定年ならまだしも、リストラ、職場事務所移転、転勤など企業に依存した問題が発生すると、メリットはデメリットになる場合も多いのも事実です。私も実際に西新宿のオフイスから横浜の支店、千葉(幕張)の支店への辞令の際、大変苦労した記憶があります。さいたま市も空家問題があります。このエリアには新しいマンションと古い建物が混在しており空家が多く散見されます。新しいマンションでも空家は意外に多いです。
全国で起こっている空家問題それと高齢化社会。
さいたま市に関して言えば空家問題と地域活性化を解決する手段の一つはクリエイターという職業の方への積極的な場の提供ではないかと考えます。都心の利便性の良さもありますが、ギスギスした都心の感覚は私には合いません。実際、育児されている方と高齢者の方々はどのように考えていられるのでしょうか。私は「住まい」としての利便性と環境、そして「交通手段という面で仕事の環境」のバランスが取れているのがこのさいたま市ではないかと考えます。しかし、今のままでは何も今までと変わらないでしょう。クリエイターが必要なものは「道具」「ノウハウ」「場所」かと思いますが、その底辺には仕事が回ってくる「仕事仲間、コミュニテイ、環境」が必要かと思います。クリエイターは専門領域があり、ある範囲で特化した制作をしている方が多く、一人で全て完結できるプロダクションは別格で個人の領域では限界があろうかと思います。
それとクリエイターの方々の大きな課題は社会的な信用と経済面ではないかと。事務所を借りるのも大変な労力を要します。経済面では道具も。デジタルツールは日進月歩で変わっていきます。新しいツールは個人クリエイターの方には大変な負担になります。
クリエイターの方々に集まってもらう為にはファイナンシャルな支援から、仕事場探し、クリエイテイブツールの提供、クリエイターの方々とのコミュニテイスペースの提供がワンストップでできたら何か新しい地域活性化につながるかと思っています。
今そんなサービスが無いかもしれません。でもなければ作りましょうよ。

2015年11月7日土曜日

『何を売るか』と悩んでいる限り、何も売れない

商売を始める時、「何を売るか」から初めてしまいます。
誰もがしてしまう間違いに気づくには時間がかかります。
何度も挫折して『誰に売るか』に気づけるかどうか。
どうしても、売り手というのは、最初に商材ありきの発想になるんですよね。「何を売るか」「何が売れるか」というのにフォーカスしちゃう。 この考え方から入ってしまうと、重要なものが置き去りになってしまうんです。

商売とは
『マーケット(市場)』と『自分のノウハウ(強み)』と考えます。
どういうことかというと、簡単で単純なことです。最終的に、商品やサービスにお金を払って購入するのは、お客様なんですよ。
いわゆる、『誰』にあたる部分です。
『誰の』・『どんな要求を』・『どのように満足させるか』です。「何を売るか」なんて発想は、この中にも出てこないんですよ。なぜかというと商材とは、手段なんです。目的は収入を得ることですよね。
ですから、手段を先に考えてしまうと、そこから、目的を得ようとしてしまうんです。ということは、目的である「収入を得ること」が手段によって抑制されることになってしまうんです。
結果として、「どんな商品が儲かるか」ということにフォーカスしている以上、「どんなマーケット(市場)が儲かるか」という発想にはならないというか、見えなくなってしまうんです。
そして、その「儲かるマーケット(市場)」であなたのノウハウ(強み)を生かせるのか生かせないのかも、見えないままに、「儲かるかどうかわからないマーケット」に商材を投入してしまう事が多々あるように思います。
まず、『誰に売るか』。これから、入るのが正解。
『何を売るか』というのは、その次。次のステップなんですね。『何を売るか』を先に考えてしまうと、それを買いそうなお客さんを探すというステップが次のステップになってしまうんです。
この時点で、多分、商材は揃えてしまっているでしょう。仕入れやら店舗やら、人やらに、既に、資金を投入してしまっている。
そして、この商材を買いそうなお客さんが、いなかったら・・・・
結果は散々なものになりますよね。

何か商材を見つけるよりも先に自社の顧客リストを集められたら、そこから顧客の課題、悩みを探し出す事が一番成功する秘訣かもしれません。

2015年11月6日金曜日

商売とは何だろう?

商売とは?
商売は幅広すぎるので事業とはで辞書を引くと
「生産・営利などの一定の目的を持って継続的に、組織・会社・商店などを経営する仕事」と書かれています。

利益を上げ継続的に行う仕事のようだ。
それともう一つ書かれていた。
「大きく社会に貢献するような仕事。」

社会貢献と利益追求、何か相反する内容に思えてならない。
どちらかと言うと私は、人が必要とされるサービス、物品を提供する事によって結果として対価を頂ける事が商売の原点ではないかと考えています。
只、本当に人々が必要なサービスと、その事による対価で事業が継続していけるのかが大きなポイントではないかと思っています。

極端な例ではNPO。今は利益を上げる事も許されているらしいが、本来は無償ボランテイア活動が主体です。これはどうやって活動自体を継続していく原資を調達しているのか私にも良く分かりません。
対価を得ているサービスも資産性、生産性のある物品もあれば、ゲームのように余暇の時間を潰す事に提供するサービスもあります。
昔の時代は見える形の物に対する価値概念があったけど、今の時代はwebや音楽など視覚から得られる情報(権利対価)にお金を払ってくれる時代に変わってきたように思います。

自分が提供するサービスが本当に人々の為になるのか、常に自分に対して自己問答しています。しかし、自分が納得しても相手の価値観は判らない。これが一番の課題です。

社会に貢献できて大きな利益を頂けるようなビジネスが成り立つのであればブラック企業など存在しないでしょう。そんな綺麗事で成り立っている会社があれば知りたいです。
大企業は下請けや、既得権で安定した収益を上げる構造が出来ているからこそ、大企業としての安定基盤がある。ベンチャー企業は新しいイノベーションを提供する為に日々開発をしている大企業はローリスク、ハイリターン。ベンチャーはハイリスク、ローリターンorハイリターンの選択肢のようです。大企業のリスクをあえて挙げるとすると法令遵守と内部秩序の維持かも。いかにルールに従い、多数の従業員に秩序ある仕事を継続させるか。大企業ならではの悩みがあります。

大切な事は如何に顧客から必要とされる付加価値を提供できるかという事かもしれませんが、それを見つけ出す事が商売の鍵なのかもしれません。

最後に松下幸之助さんのお言葉ですがこれが基本なのでしょう。

勝てば官軍という商売はあかんよ

商売するとき、結果を出せばいい、結果だけが商売や、と考えたらあかん。その仕方やな、それも大事や、ということやね。なにをやってもいい、勝てば官軍、という商売は、あかんよ。結局は、失敗するで。

2015年10月29日木曜日

NHK朝ドラ「朝が来る」はビジネス指南書

NHK朝ドラ「朝が来る」
今、毎日クギ付けです。ストーリーも去ることながら演出も目をひきつけます。

ところで、私はこの番組を2つの視点で見ています。
一つは純粋にドラマとしてのストーリーの楽しさ。
もう一つはビジネスを行う上で、「商売人」として必要な資質を養う事。

今の時代、商売人と経営者はちょっとニュアンスが異なるかも知れませんが、ビジネスをしていく上で必要な資質はどれも共通なように思います。

何点か興味深い点を挙げましょう。
1.出会い
出会いは積極的に出会う機会を作る事も大切ですが、運命的な出会いというのも感じます。只、その出会いの際に自分というものを如何に伝えられるか。人間誰しも虚栄心もあろうかと思います。本当の自分、裸の自分を素直に出せる人はいつも自然体でいるのではないでしょうか。人に左右されず、自分の意見を言える人。中には変人扱いされる人もいるでしょうが、それがその人のありのままの姿です。見栄を張っていると大変疲れます。ちょっとした時間であれば、何とかなりますが、長い時間一緒に仕事をするような関係では決して長続きしないでしょう。「身の丈」と言う言葉がありますが、背伸びをしないでありのままの姿でいる事が本当の自分を知ってもらうのは大切な事だと感じます。
何か伝わる事があれば、人の心に必ず届くものです。それが「縁」だと感じます。


2.物事の本質を探ろうとする気持ち
主人公の妹「あさ」の口癖は「何故?何故?」ですね。
人々は納得できない事でも社会の通例であったり、常識だという既成概念で物事を捉える事が人間関係をスムーズに行う得策のように考える所があろうかと思います。
このような中で物事に対して「何故?何故?」と問い掛けられると答えに困る事も多々あろうかと思います。小さなお子さんがいる家庭で子供から「何故?、何故?」と質問攻めにあって疲れ切っているお母さんはいないでしょうか。子供は純粋であり、探究心が強いので聞こうとする。本当はこの気持ちを育てる事が親の役目だと思います。しかし、何故か子供に付き合い切れず、適当に曖昧にしてしまう事が多いのではないでしょうか。
Sonyの開発陣の中にも「何故?」を3回繰り返し、本当に導きだした答えが真意なのかを確かめる文化があったように思います。
「本質=物事の根っこ」がきちんと整理できていればニーズから大きく外れる事は少ないものでしょう。
諺で「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言うのもありましたね。


3.「今より少しでもみんなが幸せな世の中の実現」の為に
 商売をする上で、自分だけが裕福になるようでは誰も共感してくれません。
その気持ちはちょっとした事かも知れません。只、大切な事はその気持ちを素直に言葉にし、自ら行動する事ではないでしょうか。
社会が必要としている事を感じ、人の為に働く。結果として「ありがとう」と思われる事はあろうかと思いますが、決してその為に動かない事。その為には自然体の自分で常に行動する事と感じます。


4.姉「はつ」と「あさ」の生き様
姉「はつ」は立派な女性です。このドラマを見る限りでは素直で真のあるとても素晴らしい女性であると感じます。一方「あさ」は破天荒な暴れん坊な時代には合わない女性像に感じます。しかし、このドラマの中では従順、謙虚、素直な性格が姑の時代認識の甘さと、見栄っ張りから来る強欲に対抗できず、翻弄されていく様が描かれているように思います。これは単に時代の変わり目だったからと言うので無く、その苦境を生きる対応力が
薄かったのかもしれません。ここから学ぶ事は生き抜く力とは環境の変化に柔軟に対応できる力のように感じますが決して「はつ」の力不足ではありません。言い換えれば「はつ」の力を封じ込めていた姑とそれを良しとしていた周囲の弱さでしょう。結果として山王屋は潰れてしまいました。この番組ではネガテイブな見せ方は一切していませんが、人生の生き方の選択によって人生、商売がこんなにも違ってくるという事をしっかりと見せてくれているように思います。

5.商売とは
この一言が全てのように感じます。

「商売いうんは、先を見る目と、その道を貫く覚悟がのうてはあかん」



2015年10月21日水曜日

SVOD(定額制動画配信)の波

白黒のブラウン管から始まったテレビ文化。既に40年程経つであろうか。
時代は東京オリンピックという一大イベントを動画というオンデマンドの情報メデイアとして重要な位置付けを確立した。当時は動画を見れる環境としたら映画館しかなかったと思う。
現代はどうだろう。今は地上波、衛生波、ネット中継、DVDなど多くのメデイアを通じて情報を動画で見る事ができるようになった。
肝心のテレビはどうであろう。一人暮らしの大学生などはテレビを持ってない比率が高まっているらしい。所有していない率は25%程度もあるようだ。NHKによる受信料制度もあるが、肝心の見たい番組自体の魅力が下がっている事と見たいコンテンツをネット(YouTube)などで見れる環境が整っているからのようである。
実際にテレビを見ても、旅、料理、お笑いが殆どで時間を割いて見ようと思える番組も少ない。悔しいが唯一有料であるNHKの番組はドキュメンタリー番組として見ようと思う事も多い。

さて、日本はそんな環境であるが、米国ではネットフリックス等SVDO(定額制動画配信)業社が伸びているそうだ。そしてそのネットフリックスが日本参入を予定しているらしい。既にhuluは日本参入しているが企業規模が違う。巨人が参入してくると見る業界地図も大きく変わってくるかと思う。

映像コンテンツのチャンネル普及で一番影響を受けるのは誰か?
先の話の流れではテレビ局のようにも思えるが一番懸念されているのはレンタル業社と思われる。国内ではTSUTAYAなどの大手レンタル業社ではなかろうか。
ネットフリックスの強さは優れた自社制作のオリジナルコンテンツにある。
他者が制作したコンテンツを配信するメデイア、レンタル業とは一線を画す事は明白である。そしてその内容は米国内で大きく評価されている。もう一つは自社オリジナルコンテンツを自社のプラットフォームで優先して配信する事で優位性と定額で提供できる強みであろう。
視聴者としては優良なコンテンツを一定額で利用できるメリットは大きい。

テレビ放送からレンタルビジネス。そして今オンデマンドコンテンツ配信というビジネスモデル、手段は写り変わろうとしているが、今の時代、ユーザーがどんな情報を必要としているのか理解して頂き魅力ある情報を発信して欲しいと思う。

2015年10月20日火曜日

30年前に無かった仕事、2050年 35年後の仕事予想 その2

35年後の仕事予想続きです。


まずマクロ視点から
宇宙への開発
現時点では火星調査などを実施している状況だが、30年後、自由に宇宙に旅行できる時代は来るように思う。他の惑星に住むまでにはなっていないであろうが、短期滞在できるホテル程度の施設はできるであろう。


自然環境
日本はこの30年で環境汚染を克服してきた。しかし、海外はさらに悪化している。
環境汚染以上に深刻な事は地球温暖化。多分、夏は50度の灼熱が待っているかも知れない。所で、動物のタンパク質は50度以上では変質して死滅してしまうらしい。ダニの例を良く見るが洗濯や、日干しでは死なないダニが高温乾燥すると全滅する事を研究者の発表で良く聞く。そんな環境で私たちは生きていけるのか分からない。
これも、映画で良く見る内容だが、地下都市で生活する時代が来るかも知れない。
土地の売買には地上権、地役権などを良く聞くがもちろん地下の利用権も所有権の一部としてある。しかし、外環道のように超深度の利用権は変わるかも知れない。

医療
DNAの解明が相当進むように思う。病気が発症する前に、DNAの遺伝情報を元に予防注射のような物ができて病気にかからない社会になっているかと思う。そして医療と健康保健(労働者保健、国民、生命保険)は密接に連動し人と言うよりかはDNAの質に対して保険金額は大きく異なっていくように思う。
逆にウエラブル端末で体調は常に監視されるので万全かと思うし、人の一生の期間も高い精度で予測される時代が来るかと思う。
福祉社会の必要性と今は言われているが2050年頃にはロボットによる完全看護の時代があるように思うので福祉ビジネスは人的規模でななく、IT業者の下で運営されるのではないであろうか。

情報関連
パソコンは間違いなく死後になっていると思う。
処理能力は1LSIで現在のコンピュータ以上の能力となっている事は間違いないと思う。
そして情報端末はウエラブルか、機器埋め込みのタッチパネル。全てがクラウドで繋がっているだろう。個人情報は国が統制しており、行動も把握され、犯罪も未然に対処される時代になっているかもしれない。新しい情報処理の仕事としては情報統制処理なんてできるかも知れない。(企業の経営監査を会計士が担っているが情報処理専門の監査職ですね)

私の予測ではVRの仕事が大きく変わっていくのではないかと思っている。
今現在も情報は氾濫している。何が真実なのか、本当に必要な事は何かは人間自身が見る目を持って選択しなくてはならない時代であり、今後より一層、その力は必要となるであろう。そんな時代にVRの視覚効果は絶大な効果があるものと思う。
仮想現実の時代。トータルリコールの映画じゃないけど人間が持っている欲望は夢を見て夢に向けて努力する事。
厳しい時代だからこそ、夢を提供する仕事が膨らんでいくように思う。

何でGoogleやMicrosoftがVRに本気になっているか考えれば判ると思う。

30年前に無かった仕事、2050年 35年後の仕事予想

2020年はオリンピックの話題で一杯だが、何となく今の社会とそんなに大きく変わっていない気がする。私は今年で53歳になるが、30年前の成人の頃、今の社会は正直想像できてなかった。

例えば、
携帯電話。その頃はまだ黒電話だった。
コンピュータ。コインゲームセンターでインベーダーなどに夢中になっていた時代。
ビジネスの世界ではNECのパソコンが相当売れていた。エプソンなんていう互換機もあった。大学の情報処理の授業ではコボル、フォートランなどの言語で紙パンチリーダーを使っていた時代。FDD(これ自体が死語?)は5インチDISKだった。HDDは20MBで20万の時代。GigaではありませんよMegaです。メモリも128Kで5万?
幾ら技術革新が進んでいると言ってもその業界にいた人々は翻弄された事であろう。

昔話しになってしまったけど、現代にはある商売でその時代には無かったであろうビジネスの話しに戻すと。

携帯電話ショップ
誰が一人1台持つ時代をその当時想像できていたであろうか。今の時代で言えば衛星通信の携帯を売る業者よりも夢を持った経営者が参画したのではないか。

WEBデザイナー
Internetが国内で普及し始めたのが1986年頃かと記憶している。但し、まだこの頃はモデムでNetscapeなどを利用していたように思う。
そんな時代動画なんてある訳ない。すべて静的サイト。サイト作成料も100万の単位であったと思う。ボロ儲けの時代です。

フリーター、フリーランス。
今の時代は認知されたけど、その当時は単に無職としか思われない時代だった。
就職ができず、ふらふらしている人、地方では肩身が狭かったに違いない。

CGデザイナ
illustrator,photoshopは1985年頃からあった。但し,自動車が買えるくらい高いMACでないと使えない。イラストレーターの方々も今の時代は社会にとって大切な人だが、その当時は「絵を描いている人」の扱いで社会的な地位は認められて無かったように思う。デジタルでは無い時代、どのようにイラスト制作していたかと言うと、本当にペンで書いていた。色はCOPICと言う水彩ペンがある。これが売れていた。そして同じデザインでも建築家はしっかりとした地位があった。デジタル化が進んで1990年以後だと思うが一気にデジタルで制作する方々の仕事の幅が広がっていったと思う。
3DCGをしている方(業者)も出始めたけど、ドル箱状態。大体が建築関連だった。出力はフイルム出力で銀塩に焼く方法が主であった。ネガ1枚10万そんな時代。

逆に現代になくて当時あった仕事は
大型メインフレーム機のCEと言う職業。カッコ良く言えばCEだが簡単に言えばメンテ要員。
IBM、富士通、NECなどメインフレーム機を作っているメーカーは本当に多くの技術者を採用した。仕事はメインフレームが売れるとそのメンテ要員としてフレームと一緒に派遣させる。残念ながら、機械の為に人が売られてしまう時代だった。

今思えば、時代の移り変わりの潮目だったように思う。

さて、過去の事は過ぎた事だ。これから30数年後どうなっているんだか考えたい。
ちょっと長くなったので次回考察していく事にする。


2015年10月11日日曜日

Disney Tomorrow Land

Disney Tomorrow Land観ましたか。

この映画の中に近未来のビジネス像を見てしまいます。
子供向けの映画にはとても思えないのですが、どのような気持ちでこの映画を見られているでしょうか。

2001年宇宙の旅も1968年に公開された映画でした。その頃は全てが夢でした。
今よりももっと、夢を感じる映画だったように思います。
でも今となれば、現実化しているものもあります。その大半は技術的面は克服できるまで進歩しているように思います。

TommorrowLandでは更に多くの面で実現の可能性を感じます。
・バッジ型ホログラムシステム
・ホログラムによる番犬
・電磁バリアによるドアの警備システム
・小型ハンデイー型のDNA検査装置とDNAをキーとした個体認証システム
・天空マップによるバーチャルツアー
これらはもう少しで本当に商品化されるのではという期待を持ってしまいます。

・生命の残存期間の予測装置
・光高速タキオン粒子による少し未来の映像投影
こちらは現時点では架空の事かもしれません。

この映画を見て思う事は映画という趣向の手段かもしれませんが「ありたい姿」を見える形にして表す事によって現在とのGAPを埋め、克服していこうとする人間本来の力を導きだす事ではないかと思います。

これから25年後の2040年頃、このページが残っていたら本当に実現している社会があるかもしれません。

2015年9月20日日曜日

向かい風の安心感

仕事などで「順風満帆」「追い風が吹いてる」などと言われる事があるよくある。
追い風とは背中を押し進む風の事。
しかし、本当に背中を押される事が良い事なのであろうか。そんな疑問を持っている。
私は30年近くヨット競技をしていた中でそんな思いに至る。

追い風(以下、runningの風)は2つの顔を持っている。
弱風;風が弱い時は風速と艇速が近くなる為、風を感じにくい。風を効率的に捉える為にスピンネーカーを上げるが、弱風のトリムにはスピンが潰れないようにする経験と技量が必要となる。
追い風だから艇は真っ直ぐ進めるかと言えば、艇速と風の圧力を感じにくいので真ランと言う方位を進む事は簡単ではない。決して最短距離を走れるわけではない。
強風;強風になると風だけではなく、海面も荒れだす。波が高くなると艇のローリングが強くなる。スピンを上げているとワイルドジャイブの怖さがやってくる。
非常に慎重なトリムとコース取りが要求される。

ではセーラーにとって一番安心できる風は何か?
これは向かい風であると信じている。
ヨットは向かい風の時、吹いてくる方向には進めない。しかし、風位に対して約45度の角度で切り上がっていく事ができる。ジグザクにはなるが、繰り返して風位に進んでいく事ができる。この登りの向かい風の時が一番船が安定する風だ。

強い風で叩きつけられても風と波を切り分けて進んでいける。自信とパワーを感じ持って艇を操れる時だ。

順風満帆と言う言葉を調べてみると
追い風を受け、帆がいっぱいにふくらむこと。転じて、物事が順調に思いどおりに運ぶことのたとえ。と書かれているが、決して思いどおりに運ぶ事の例えとは思えない。

人生の事に話しを戻すと向かい風の中でジグザグであっても自分で選べる事、波と風に揉まれながら強く成長できる実感を得られる事が何よりも幸せである。一見何もしなくても風に押されて進めるように思えるが、多少苦労してでも確実に前に進む人生を選びたい。
私にとっての順風満帆とは真横からの風(アビーム)と「向かい風」である。

尚、ベテランセーラーには超強風の追っ手の風を好む人々がいる。
バイザリーと言う走らせ方があるが、リスクを掌握し、何かあっても対処できる力がある人だけができる技である。

2015年6月26日金曜日

時間軸でのビジネス

仕事というものは常に時間軸を伴って成立しているものだと考えています。

極論するとこの2つになろうかと思います。

・時間を節約できるもの
・時間を奪うもの

時間を節約するものはすんなりと想像できるでしょう。
例えば、
googleは情報を調べる時間を一気に解決できるサービスを提供しています。
検索サイトを使えなければどうやって情報を得るでしょうか。
名刺のURLから調べる?どんなに時間を要するのか想像できません。

電車は低価格である場所からある場所まで移動する手段を提供します。
昔ならば、徒歩という手段もありますが、飛躍的に時間を短縮できます。

電話もそうですね。遠い場所の人に自分のメッセージを伝える手段を提供します。
手紙という手段もありますが、双方向で意思疎通できるメリットも大きなポイントかと思います。今ではinternet環境でのmailも同様でしょう。更に進んでchattもあります。

コンピュータシステムによる業務処理などは最たるものでシステム処理で時間削減が最も大きなメリットではないでしょうか。

さて、もう一方の時間を奪うものとは?
例えば、
映画。自分の貴重な時間を割き映画を楽しみます。テレビ、本も同じかと思います。
又、温泉で時間を過ごすなども同じかもしれません。
これらの事は自分に満足感を得たい欲求から行われるものではないかと思います。
自由になる時間を有意義に使いたいと思う欲求ではないでしょうか。

大きなポイントは時間を奪うビジネスの場合、対価の尺度が人それぞれである事。
一定の基準があるようでその環境、欲求度によって評価が大きく異なる点ではないでしょうか。言い換えれば時間を奪うもの=コンテンツかもしれません。

一方、時間を節約するビジネスは目的とする欲求が明確であるかと思います。
その目的が達成できれば一定の満足を得られると言えるかもしれません。
こちらは言い換えると「サービス」ではないでしょうか。

何でも自分でしなくては気がすまない人がいます。
お金が無く人のサービスを受けたくても自分でするしかない人。
いろいろな事情があろうかと思います。
しかし人間に与えられた時間は1日24時間。そして定年も寿命もあります。
こればかりは皆同じ。
1つの行動で大きな成果を得る為には時間軸を意識する必要があります。
そして今の社会にあるビジネスはこの時間軸を価値基準としてビジネスが成り立っている事を改めて感じます。

これからスタートアップを検討している方々も、社会に受け入れてもらえるサービスかどうかを検証する際に時間軸でのビジネスモデルの可能性を一度検討してみては如何でしょうか。

2015年6月10日水曜日

APPLE WATCHアプリを作ろう

APPLE WATCHの可能性は無限だと思う。
只、PCと同じでアプリが無ければタダの箱。電源が無くなれば、時計の機能もしないし何も役に立たなくなる。

であれば、自分が欲しいアプリを作ろう。

私が今欲しいアプリはコミュニケーションツール。
こんなものが欲しい。

コンサル/商談などの場面において
・従来のボイスレコーダーのように会話を録音する。その中から特定の方の会話のみを分析、抽出する。一つは議事録作りの効率性が挙げられる。

・もうひとつは会話した人ごとの発言時間を円グラフにして観れるもの。
だいたい、会話は一方的に行われてしまう事が多い。特にコンサルなどの仕事では相手の考えを引き出す事が一番大事な事なのに一方的なプレゼンで終わってします。
これらの事を客観的に見れるものが欲しい。
自らの反省と共に、定量的な判断材料になる。

・もうひとつは特定のキーワードを拾い上げる機能。
何度、キーワードが発生したか。それに関わるワードは何か。
これは後に行動パターン/思考パターンの推測などビックデータとしての可能性につながるかと思っている。

今までも機能WATCHはいろいろあった。しかし、ジブンの力でプログラムができるWATCHは初めてではないかと思う。そんなAPPLE WATCHに期待が大きい。

2015年5月17日日曜日

UNREAL Engine 4 不動産に特化した3DCG

先日「住まい探しの本当の課題」で住まい探しに本当に必要な事は何かを考えている中で思った事です。
昔から私は3DCGに興味があり自己流であるが勉強をしてきました。
もともとはMODOというイギリスのFoundry社のCGから始めました。CGプロダクションの世界ではAutodesk社のMAYA,3DSmaxが主流であるが、MODOは後発メーカーであるが常に進化してリアルフォト分野では高速なレンダリング処理と直感的な操作性に特筆する設計思想に魅力があります。もう一つは価格。MAYAは元々、100万/1ライセンスのアプリであり、何度か価格改定があったが今でも50万前後のライセンス料となっています。個人では簡単には買えない敷居が高いアプリ。MODOはと言うといろいろなライセンス契約があるが15万前後。キャンペーンなど使えば10万前後で購入できます。価格から見れば使えるのか?という思いもあるかも知れませんが、Foundry社の関連製品であるMARI,NUKEなどはハリウッドの映画業界では業界標準の編集アプリです。私自身もMAYAを使用した事はあり、使い勝手は異なるけど結果として個人レベルで出来る事に大きな差はないように思います。あえて言うなれば、ジオラマなどの大規模な構築はMAYAが有利な点ではないでしょうか。(プロの業界では各社の仕様によってカスタマイズできる事が大きな点としてMAYAが使われているそうですが・・)
さて、今までCG制作をして思った事はどれも写真と見間違えるレベル(フォトリアル)までの制作物はできますが、やはり成果を得る為にはスキルと制作時間に大きな壁を感じます。
静止画ならともかく、動画制作などしようとしたら敷居は一気に高まってしまう。
これはスキルの問題も大きいけど制作環境というコスト課題に直面します。
もう一つ思う事は静止画の制作であれば、そこまでの手間とコストを掛けて本当に必要性があるのかどうかという点。何故、3DのCGを作るのに静止画とするのか?
単なる絵であれば、イラストレータやphotoshopのレタッチで作っても十分ではないだろうかと言う事をずーと思っていました。
あえて3DCGで作るメリットは全方位から思い通りのシミュレーションが出来る事ではないでしょうか。このスキルと手間の現実問題と3DCGに対する思いのバランスが私にとっての大きな課題でありました。

そんな中で先日、UNREAL Engine4のバージョンアップの事を知りました。
昔からUE4の事は知っていたけど有料ライセンスだった事、UNITYのゲーム感覚が強かった事もありさほど興味はありませんでした。しかし、状況は変わったので利用させてもらう事。使ってみて卒直に思う事は「これは使える」。特にローポリで物理エンジンを使えるメリットは多大です。上記課題であったスキルの問題、制作環境もアプリ側で吸収してくれるのでハードルは確実に低くなると感じます。もう一つ私にとっての大きなメリットはVRへの対応が充実している事。これからの不動産はVRでシミュレーションする事が必須となってくるかと考えます。(所謂、リモート内見)UE4は大きな未来に近ずける感じがします。

先般の住まい探しの課題に話を戻るが、私の思いは個人が建築設計士が書いた設計図面をどのくらい読む事ができるか?から始まっています。これは買い手側の不利益だけでなく設計及び工事業者側でのリスクでもあります。不動産関連ビジネスがクレーム産業と言われている所以はこのコミュニケーションギャップが大きい。

私の思いは仮想CGで誰にでも「見て」わかる住まい。(それも物理エンジンベースのシミュレーションで。(何を言いたいか、物理エンジンのメリットは次回書きます。))
そしてCGはあくまでCGだったのが今まで。
私の思いは設計士の思いを仮想CGでしっかりと見てもらい、法律面から建築設計と不動産取引、ファイナンスをセカンドオピニオンとしてバックアップ事。
そんな思いにUE4は強力な武器になる予感を感じます。

そして一番大切な事は世の中にありそうで無いのでまずは私がやってみます。



レベルでの制作では自己満足ニーズが満足してもらえるのかという疑問。

2015年5月15日金曜日

住まい探しの本当の課題

住まい探しの課題、本質を考えると何が見えてくるのか。

表面的には
新築一戸建てであれば、土地、設計士、工務店探し

マンションはもっと簡単で物件のチラシ、現地ショールーム探し

中古マンション、中古一戸建は物件探し

表面的には簡単に片ずいてしまうけど、それぞれ不動産屋、建築士事務所、工務店に頼んでも決っして自分の思いにそった家なんかできっこない。何故なら、自分と業者は他人だから。ではどうしたら良いのか。私の考えはとことん自分の考えを見える形にする事。

自分ではできなければ業者にしてもらう。例え、費用が発生したとしても妥協して欲しくはない。しかし、何を頼めば良いのか自体判らない人も多くいるかと思います。

例えば・・
貴方は、建築士の書いてきた設計図面を見て自分の家がしっかりと想像できますか?
私は自身がありません。私は図面は読めますが、読める人でもそれが現実の住まいになるという保証は何もないからです。
それは設計士、工務店はあえて仕上げを明確にしません。何故ならば、コスト面、仕上げ精度の面であまり具体的にしたくないから。何でもそうですが、「仕様」というものがあります。これはここの部位にこの材質を使いますという決まりです。しかし、一番コストがかかるのは材質では無く、手間代。良い仕上げをする為には下地作りが大きく左右する。
壁の仕上げも単に壁紙を貼るのでは無く、下地の陸調整が平滑度を大きく左右します。
塗り壁だったらもっと精度を要求します。
業者自体も施主に対して建築の事を知らないだろうからと言った見方もあるでしょう。
でも、一生に一度の大きな買い物なのですから後悔しないようにやる事はやっておいた方が良いです。ちなみに電球の色温度をどうするかだけで家の雰囲気は全く変わってしまいます。

家探しで本当の課題ですが、設計事務所のメンバーとの仕事を通じて思う事は以下の点です。

1.本当に大事にしたい事は何かがブレてしまっている。
 予算面もあるかもしれないけど、それと「ありたい姿」は別です。

2.変な妥協がある
 設計図面を説明しても判らないのであれば納得いくまで説明しますが、理解できない事が先にあるので「お任せします」が先に出てします。


3.手段が目的になっている。
土地の契約、設計委託契約、売買契約など複雑な手続きはありますが、これは全て手段でしかありません。目的を達成する為には自分の思いをぶつける事が大事です。
業者も余計な仕事は増やしたくはないというずるい面もありますが、しっかりと思いを伝える事です。プロの仕事士はきちんと思いを会釈します。

私の勝手な思いですが、今の社会において不動産を購入しようとする方にとって一番足りない事は以下のように思っています。

1)自己資産(住んでいる土地、住まい)の資産価値を確実に把握できる仕組みがない。

2)専門家に依頼しても専門家自身が分かっているだけで依頼者自身がしっかりと把握できる形にデザインしてくれる仕組みがない。

3)ファイナンス、建築、不動産、ビジュアライゼーションをワンストップで相談できる個人向けの業者がいない。(セカンドオピニオンになってくれる業者は尚更いない)

これが課題の本質ではないでしょうか。そんな業者がいれば依頼しますか?


2015年5月12日火曜日

不動産 情報の非対称性を克服する

不動産を買う事は人生に何度あるであろうか。
不動産業は特に情報の非対称性で商売が成り立っていると言われる。
物件の情報は宅建業法において重要説明義務を課せられているが、実際買い手が把握できる情報は通り一辺倒の内容しかなく、一方的に説明されるだけである。
本当にこれらの重要事項の説明が理解できている方がどの位いるのか。
不動産業者は判らない事をいい事に、判らない事を知りながら何度も説明する。
これは親切な業者と印象つけるためであろう。

一方、新築の注文住宅も本当に施主の思いを実現できる設計者はいるのであろうか。
これは設計者が悪いだけではなく、施主の予算が注文住宅の予算に合わない事もある。
昔ながらの一流の工務店は坪百万からでないと建売とたいして変わらない材質しか選べないと言う。田舎にいくと平家で大屋根の大きな玄関の住まいには概ね、立派な框の材が待ち構えているものである。玄関材を見るだけでも家のグレードが見て取れる。
私は家の格は門からのエントランス、ファサードの出来と屋根構えで家の品格が決まると思っている。贅沢な造りとは無駄がある空間(ゆとり)の演出なのかもしれない。

さて話は逸れたが、今住んでいる住まいの価値、これから購入しようとしている住まいの価値を正確に把握できる方がどの位いるであろうか?
不動産業者に査定してもらえば正確に把握できるであろうか。答えはノーである。

実は不動産業者は建物(建築)の事を判る人は少ない。(建築設計事務所兼不動産業者ならば判る)ではどのように査定するのか。
不動産の価格査定方法は正確には3つある。取引事例比較法(いわゆる相場感というやつだ)、収益還元法、原価法。どれを使っても良い。

勘違いして欲しくない事は自分の家、購入予定の家と同じ条件など、どこにも無いという事だ。そして一番怖い事は例えば、自己不動産を売却する時であれば他社よりも一番高い値段を平気で言ってくる事。売却しようとする人は一番高く売ってくれると勝手に思い込んでしまうからだ。しかし、決して高くは売れない。相場があるから。

この時に重要になるのが売り手が相場を把握出来ているかどうか。
これが情報の非対称性である。
知らない人は損をする。だから商売が成り立つ。

どこの不動産業車のホームページも査定無料と書かれているが情報を予め開示している業車などどこにも無い。一般の方は翻弄するはずだ。
ネット社会の今でさえそんな事で悩んでいる人が多々いる。
もう一つの観点では空き家問題がある。これらももっと情報開示ができれば新たな活路が見つかるはずだ。

そんな思いがあり実は総務省統計局のOPENデータと言う信頼できる情報を元に不動産のビックデータ解析を有志の方と解決に向けて取り組んでいる。
http://geeo.otani.co

まだ第一歩ではあるが情報のopen化に向けていろいろとツールを整備している途中であるので興味のある人はご連絡頂きたい。

mi.hasedon@gmail.com

スバルレボーグ、マツダアクセラ 日本の車作り

この10年程、欲しい車が見つからなかった。
そんなこんなで、約9年間今の車を乗り続けてしまった。
とか言っても本当は子供の教育費など経済的に苦しかったというのが本音であるけど。

私は結構慎重派で大きな買い物をする時はとことん調べなくては決断できない性格。
そんな自分が嫌になる時もあるが。しかし、今までの車は下取り価格であまり損をした事はなかったと思っている。

そんな私であるが、先日、車を衝動買いしてしまった。

車に求める価値観は10人十色であろう。私は高額商品としての資産性(質感、車としての車格)と「車」としてのポテンシャルの高さを基準に選んでいる。

若い頃は走りという側面で2シータの日産Z32に乗っていた。結婚してからは家族でキャンプがしたかったのでパジェロロング。2人の子供が幼稚園に行くようになってからは妻の送迎のしやすさでODDEYSEY。そのライフワークに合わせて車の趣向、目的が変わってきたように思う。

一時、プリウス始めハイブリッドが盛んな時期があった。(今もトレンドか?)
燃費、環境性など言われているが、失礼ながら私は何も関心を持てない。何故なら、中途半端だから・・・。日産リーフ、ステラのように電気なら電気自動車に徹すればいいのに。購入されたユーザーならば良くご存知かと思うがプリウスは高速道路走行の際、決っして燃費は良く無い。何故ならば高速時はエンジン走行するから。それも非力なエンジンなので何とも味っけない。市街地は確かにバッテリー兼用走行なので燃費は確かに良いかもしれない。しかし、走行距離が少ないのでメリットを何処くらい得られるであろうか。
それとこの手の車は故障したら何も手が出せない。車検も街の自動車工場ではエンジン自体には手が出せない。全てメーカーのブラックボックス(ECUを始め)化されているのがユーザーフレンドリーでは無い所だ。

私が本当に興味があったのはクリーンデイーゼル車。ベンツのBLUETEC、BMWクーパー、マツダなどが出している。それらの車はトルクの太さからの操縦感、軽油の経済性。車を操縦する楽しさを与えてくれる。昔のデイーゼルとは別物だ。


しかし今回、選んだのは「レボーグ1.6GT」。今まで17台程車を乗り換えてきたがスバル車は初めてである。あえて言うと今までスバルの水平対向エンジンに興味はあったものの、プアな内装から購買に至る事はなかったように思う。
しかし、レボーグには改めて「走る喜び」と「車の作り」のバランスの良さを感じた。
走りと車の作りは表裏一体であり、インテリアを切り離して言えばラリーの世界と欧州の競合他車とで鍛え上げられて来たもの作りの良さを感じる。

車に求める事は何?
日本の環境では必要とされる場面は少ないのかもしれないけど極限の環境での品質の高さかも知れない。ラリー競技はそんな世界だと思う。
トヨタは良く全てが80%の出来と言われるが、この年になると全てが80%よりも何かが120%を求めたくなる。そんな夢を与える1台かもしれない。

マツダのアクセラデーゼルも良い車だ。結構悩んだが決断できなかった。
多分些細な事だと思うが、車作りへの「拘り」、「思い」の伝わり方、過去の活動のバックボーンだったのかも知れない。頑張れ、マツダ!頑張れスバル!。全てのユーザーに好かれなくてもいいじゃないか。トンがったメーカーになろう。私は応援する。

良いものは良いと言える人生。それが幸せだ。

2015年4月22日水曜日

グレードダウンビジネス。あえて終わらせないビジネス

ビジネスの流れはより良いクオリテイの製品、サービスを提供すると言うのが本流かと思っている。しかし、長年あえてサービスの品質を落として満足を得るビジネスに携わってきた。
印刷業では本刷の前に必ずクライアントに校正確認をする。
確認事項はレイアウト、写真、文字、色など、多岐に渡る。
特に色に関しては色校正と呼ばれコーポレートカラーのチェック、濁り、彩度、網点からのモアレなど多くの項目がある。
さて、印刷業界ではこのチェックの為に、何億もする印刷機を使用してチェック用サンプルを制作はしません。何故なら、高速機の印刷機であれば、一秒に60枚も新聞サイズ(毎葉といいます。)が刷れる機材を使う事は大きな損失だから。ではどうするかと言うと、大判のインクジェットプリンタで出力する。当然、家庭用のプリンタではないけど、特別なプリンタでも無い。1台50-60万位のプリンタである。しかし、ただ単に市販プリンタで印刷と同等な出力ができるわけでは無い。
カラーマネジメント、網点シュミレーション、CMYKの4版に分解するセパレーションなどの処理ができるソフトウエアを経由させ出力する。
さて、課題は印刷機の印刷品質とインクジェットプリンタの印刷品質の差による出力見本の出来であるが、当然、数億する印刷機の方が品質は高いと思うであろう。
実はインクジェットプリンタの方が画質は明らかに上で逆にどうやって印刷物の品質までクオリテイのグレードダウンをするかが課題となる。
そんな商売を20年程、やってきた。

さて、私は今、3DCGの仕事がしたくて起業した。
今までは、Photo品質を目指したく制作してきたが、ひょんなきっかけで品質をおとした方が良い事に気づいた。

建築設計との仕事で基本プランに参画した際、クライアントに夢を創造させる為には何も色、表面処理をしない方が顧客の発想、期待が高まる事を知った。建築はクレーム産業とも言われている。これは顧客の思いと設計を含めた業者の思いのGAPから出来上がったものに対して不満が出てしまうためであろう。それではなどうしたら良いのか。顧客に図面を理解してもらう事は当然必要であろう。しかし、その前にクライアントに自分の住まい作りに参画してもらう気持ちを持ってもらう事が一番大事かと思う。
大体が、納期優先(資金繰、生産性からも)でクライアントの思いまで本当に拾い上げる為の工数を掛けてないのが現実である。
今回、3日という短納期だったので何も、テキスチャーを付けないでプレゼンする事になったCGがクライアントに気にいられた。
単に制作会社として請け負えば、制作途中みたいな感じで納品、検収をあげてもらえないような段階だと思うが、私の立場は建築設計事務所のメンバーと一緒に動いているのでそれがどうにでもなる。独立系のCG事務所には出来ないビジネススタイルかも知れない。
顧客が考える前に一方的に色を付けてしまうとクライアントはさすがプロだなと頷くであろうが、お任せムードとなり一体感は薄らぐ。これが、真っ白な建物から一緒になって顧客の思いの色付けをしていくと不思議なものでクライアントも一緒になって参加してもらえる事を知った。これも顧客の視線に合わせたグレードダウンビジネスなのかもしれない。
時間の掛かる仕事の仕方であるが下請けには出来ない濃い仕事のスタイルが私は好きだ。

2015年4月11日土曜日

ドローンの技術

ドローンの市場は益々拡大している。
何故、普及しだしたのか。

一つは高機能化ではないかと思う。GPSによる自動飛行航跡設定など。
昔からホビーの世界でラジコンヘリコプターがあったが、何が違うのだろうか。

それは、各構成要素の部品ではないかと思う。
それぞれ見よう
1)飛行状況のセンシング
   3軸角速度センサー
   3軸加速度センサー
   地磁気センサー
   GPS

2)飛行の制御
  128MHZ動作のオンボードCPU制御
  センサーからデータ処理をして4つのモーターの出力制御

3)駆動
  850RPM/Vのブラシレスモーターが4基
  2枚羽根のプロペラが4個(正回転と逆回転の構成)
4)電力供給
  11.1Vで3500mAのリチウムポリマー2次電池
5)目的地設定
  パソコン用アプリ
   アンドロイド用アプリ

羅列しただけでは判らないかもしれないが、これはスマホの技術をフイードバックしたから出来た技術なのだ。
スマホの技術進歩がドローンの技術革新につながり、これほど高機能化したドローンとなった訳である。もともとドローンは軍事用途で開発された。多くの開発費用を投入し開発されたものの、民生の技術進歩により広く使われる用途に拡大してきた。

これからドローンの進歩を予想するには他の技術革新にも目をくばらなくてはならないであろう。


2015年4月5日日曜日

米軍AAR(Action After Review)から組織運営を学ぶ

日本の企業での組織運営のマネージメントスタイルは各社各様かと思う。
良い意味で企業の成り立ち(文化)を反映した組織運営をされているのではないかと思う。しかし、その根底には個人の素質に依存した運営の仕方が大半ではないかと思う。
大切なのは同じ言葉(言語、手法)でお互いの思いを共有する事ではないかと思う。しかし運営自体が個人の素質に依存していると組織編成が行われる度に運営方法が変わる度に困惑を生じ、生産性の低下を招く事になろう。僅かな時間であれば一時的な事だが、組織の不和により管理職自体が外される事も多く見てきた中では上司、部下共に不幸になる事も危惧する。
私自体、如何に生産性を上げながら、部下、上司共に活性化した組織運営ができるかを長い間苦悩してきた。
一つ、非常に参考になった事があったのでここにご紹介したい。
米軍が実施しているAAR(Action After Review)というのをご存知だろうか。

軍隊という緊迫した事態にも対応しなくてはならない時に部隊の意識の統制と確実な職務の遂行をする為に考えられた米軍がスタンダードとしているコニュニケーションスタイルだ。どんな緊迫した時でも部隊の役割を遂行する為に考えられた手法である。その為に非常にシンプルな考えに基ずいている。

やる事は部隊全員で意見交換を実施する事。ファシリテーションというコミュニケーション手法があるが、それに具体的なアクションプランを加えたものと考えて頂きたい。

やる事は以下の事を参加者全員で言葉を交わして確認しあう
①我々がやろうとしたのは何か?
②実際には何が起きたのか?
③なぜそうなったのか?
④次回我々がやろうとするのは何か?
ポイントは、この目的は「学びと改善」であり、任務に成功したか失敗したかは問わないし、あくまでも訓練であって評価ではない、という点。

日本の場合、事実を確認するのではなく、その起こった事に対して個人攻撃するような風潮を感じる。そうすると、その人は非難を恐れて言葉を発しなくなってしまう。
成果よりもその人の考え方、態度を探るやり方ではないかと思う。ある時は成果主義でありある時は協調性。そんな都合の良いオペレーションでは裏表がある部下の考え方を助長してしまうように思う。
今の時代、社会全般でリスク回避が最重要事項である事は仕方ない事と思う。しかし、何か新しい事をすれば何か失敗もあるものだ。何もしない人を評価し、チャレンジして失敗した人の責任を問いただすようであれば組織のやる気をなくすだけだ。
本当に大事な事は本気になれる部下を育てる事。部下のチャレンジは何にも変えられない宝として評価する事ではないかと思う。その為には今起こっている事実を素直に言える風土が大切ではないかと思う。

情報をどう利用するか

世の中には情報をあえてクローズさせ、業者とユーザーとの間違の情報格差を武器に商売展開して業種が多々ある。不動産業、コンサルルテイング業、各種「士」業に関わる業種がある。元々、これら特定の業種は行政の許認可が必要であったりするので参入障壁は高いはずではある。信頼が重要な職種なのに情報をクローズする事で自己ポジションを確保している。
しかし、現代はこれだけinternetが普及し情報は誰でも入手できる時代になった。
専門性を要する事でも情報入手する事ができる。これからの時代これら専門性を必要性とする業種はどうすればよいのだろうか。

私自身、この春起業した時に経験した事があるのでご紹介しよう。
私はマーケッテイング関連の仕事だった事もありネットでの情報収集する事はノウハウ、ボリューム共に自信があった。
しかし、情報を得て知識を得る事と実際に「やる」事は違うという事を痛感した。
理屈は判っても、実際には多くの手間暇が掛かり専門家に依頼した場合のコストと自分でやる時のコスト(時間、手間)、信頼性を考えるとお金を払ってもプロに任せた方が良いことが判った。ましてや法人としての信頼性を要するような事に関しては間違いがあるとダメージが大きいので尚更である。
例えば法人登記。知識としては判っているつもりである。しかし、理屈は判っていても書類作成のポイント、ツボは簡単には分からない。ましては公証認証や電子認証など立場、システム依存している事に関しては少しのお金を出してもお願いした方が間違いがないことを感じる。何でも自分でやらなくては気が済まない性格であるが、素直に人に任すという大切な事を学んだ。それともう一つの問題は情報が氾濫している事。何が正しいか、正しいかも知れないが本当に使える情報かどうか。法令であれば改正もあり、今現在の法規がどうなのかは実務をしてなくては判断が付かない事も多い。

話は変わるが行政サイドも情報鮮度の確保の必要性は感じていると思う。
そのような中で総務省統計局が情報のopen化を積極的に推進している。行政としてあるべき姿に向けて努力されている事を社会はあまり評価してないようだがとても重要な事だと思う。

総務省統計局主管
統計におけるオープンデータの高度化に向けて「次世代統計利用システム」http://statdb.nstac.go.jp

インフラは整いつつある。しかし、これらをどう活用するかまで具体的に行政も指示してない。宝の山と感じるか、税金で何やっているんだと感じるかは私達次第である。
私は大きなビジネスチャンスと感じている。

2015年4月3日金曜日

空き家問題。早めに手を打った方がよさそうだ。

空き家が社会問題になっている。
あまり意識しなければ気がつかない問題かもしれないが不動産業界では以前から大きな問題になっている。
これは地方の問題ではない。都心部でも13%以上空き家が存在する。
改めて、いつも歩いている道で上を見上げてほしい。マンションの部屋などカーテンが空いている部屋はないだろうか。もしくは夜、電気が付いてない部屋が多々ある事を。
一番怖いのは一戸建ての空き家。不審者が住み込んでしまったり、放火などの災害により周囲の家が巻き込まれる事。
極端な場合、建物の老朽化により崩壊なども起こる。
そんな中で「空家等対策の推進に関する特別措置法」なるものが平成26年11月19日に成立され平成27年 2月26日同法一部施行となった。
この事はあまり知られてない事かもしれない。
でもこれは他人の話ではない。例えば、殆どの方は実家があるであろう。そして、結婚、転勤などで実家から離れている方も。ご両親が亡くなられて核家族化の今のご時世では空き家になってしまっている住まいも多いのではないであろうか。
今まではそのまま空き家にしていても大きな問題にはならなかった。しかし、上記法案が成立したので今後は空き家の事実に対しては「指導」最悪の事態では固定資産の税率見直しをされてしまう。具体的には古い家屋の場合、建物自体の固定資産評価額は殆ど無いと思われるが土地にも固定資産税が課税される。しかし、住居がある場合、固定資産額が更地の6分の1の制度となっているのをご存知だろうか。今回はこの特例が外れ、6倍の課税が発生すると言う事になる。何もしなくても大きな損失にならなかった以前に比べ、大きな税金が発生する。特に古い家ほど大きな土地を持っている方が多いので大きな痛手になろう。何もしなくても済んだ時代は終わろうとしている。これからは、早めの対処をしていかないと損失も大きくなる可能性がある。

2015年3月14日土曜日

人生の節目 大きなチャンスは最大のピンチに隠れてやってくる。目を覚まそう。

人生の大きな節目は突然やって来るものだ。
私も52歳を迎え、80歳になる父親の面倒を見ようと、27年間働いた会社を辞めて自立する事を決めた。しかし、その直後、親父が他界。仕事を亡くし、親を亡くし、約2ヶ月間絶望感で一杯となった。ぼーとしている期間が過ぎ、ある記事から「大きなチャンスは大きなピンチに隠れてやってくる。」という記事を読んだ。そして、そのチャンスは何も意識してないとそのまま素通りしていくらしい。
例えが良くないかもしれないが、結婚も同じらしい。人生には3度自分にとって必要とする相手と出会えるのだと。1度目は自分の歳が若く、どんなに必要とする人であっても、決心がつかず離れて行ってしまうらしい。2度目の人とは自分が成熟しており相手を惹き付ける力を持っていたならば一緒になれるのだと。3度目の出会いはどんなに必要な相手であっても自己の環境などの制約によって一緒になれる事が少ないようだ。場合によっては不倫という事も起こりえるのだと。
答えとしてはやはり大きなチャンスは1度あり、しっかりと捉える事ができるかどうかは自分の力次第なのだと。そして話は戻るが、大きなチャンスも大きなピンチを乗り越える力がなければ、ピンチで圧し潰されるだけの人生になってしまうのであろう。

私の今回の出来事は今まで甘かった自分を見つめ直せという親父の教えだったのかも知れない。自分で考え、行動しなければ何も進まない事を身にしみて感じる事ができた。
もっともっと苦労している人はいるかも知れないが今の自分にとっては人生で一番のドン底。しかし、それが故に細かな事で動揺しなくなれた。
そしてもう一つはこんな時の人との出会い。人の気持ちのありがたさが痛い程、解るようになった。そして人間らしさを持って接してもらえる人かどうかを見る事もできるようになった。

何でもない時の不幸と自分が困り果てた時の不幸。どちらも無い方が良いが、私は大きな試練が何度も押し寄せてこれでもかと言わんばかりの大波に揉まれた事に今は感謝する。

時間は無情にも過ぎていく。もう3ヶ月が過ぎた。過去に縛られてばかりいられない。着実に自分の足で一歩一歩進む事を考えてここまでこれた。3月20日、法人を設立できる目処が立った事にお力を頂いた方々に感謝をしたい。

親父にも自分の体を這って教えてくれた事に「ありがとう」と言いたい。

2015年2月25日水曜日

情報の共有化

多くの企業で言われている事に情報の共有化があろう。
私も前職の職場ではしきりに言われてきた。
やり方は様々あるかと思う。メールでの配信。ミーテイング時での報告。
情報の共有化自体は間違った事ではないと思う。

しかし、今までの経験で単に何から何までCC配信をしてこられた事。
前提になる本題、趣旨が何かを見失っている内容の配信など様々であった。
情報の共有の本質は組織内のメンバーが現在起こっている事、知らなくては行けない事、業務上必要なスキル、知識の平準化ではないかと思う。

最悪のケースは単に全てを流して話がモメた際に自分の発言の見方をつけようとする行為ではないかと思う。情報を発信していているだけでマネージメントが済んでいると勘違いするマネージャである。これは目的と手段の吐き違いでしかないであろう。

一部の人間だけで隠密に事が進められる風土より、何かしら情報を配信されている方が安心感があるものの、受け止める方の考え方次第でスルーするか、きちんと受け取るかが決まるので受ける立場も考えて情報共有化の方法も考えなくてはならないであろう。

私も少ない時でも日に150件、多い日には300件近くのメールを頂く。全てが見れる訳ではないのでプライオリテイを考えた情報の共有化が必要であろう。



水と油。協調の仕方探し。

人の考えは10人いれば10色だという事を改めて痛感している。
皆の為と思った事がその人にとっては解ったと言っていても、本当は解ろうとできない(解りたくない)事も多々あるという事。そのような時、言った本人は何故、約束した事が守ってもらえないのか憤りを感じる。その内容が人生を左右するような内容であれば、その気持ちもどんなに大きいだろうか。例えば、親が年老いて、実家の家業を助けようとして退職を決意し、両親の同意を確認した上で実施した時。退職した後、自分に仕事を任せてもらえるものと思っていたら、全くその気が無い事が解った時は失望感と今までの信頼関係が粉々となり憎悪だけが残る。

水と油。例えばフレンチドレッシングに例えて見ると、何も無ければ水分と油は必ず分離している。それを思いっきり振ってみると細かい泡になり混じり合う。その時の色は白く濁る。この時は両者が何かの思いから会話が始まり、一応は合意に至った状態なのかもしれない。しかし、時間が経つと水と油に分かれて行ってしまう。この繰り返しである。
フレンチドレッシングならば単に振ると言う動作の繰り返しでも大きな苦にはならない。しかし、人間同士は会話の中で了解した事に信頼を感じ、その相互了解事項が守られなかった時、信頼が崩れていく。その内容が本人にとって人生を左右する重要な事ならば、尚更だろう。

どうしたら良いのか。根本的に「理解してもらえるように会話ができてないんだよ。」と言う方もいる。本人からすれば、一生を賭けた内容なので今までに無い程、真剣に話をしている。頭を下げる場面もあろう。これ以上どう話をしたら良いのか解らなくて苦悩するであろう。しかし、良く考えれば、何も変わりたくない人にとっては苦痛でしか無いかもしれない。それが将来を考えた良き選択であったとしても変わりたく無い人にとってはそれで良い事かも知れない。
理論的に考えられる人、理屈は解っても今の状況を変えたくない人。人、様々だ。

人間、冷静になれば判る事でも追いつめられた時、自分の事を解ってもらおうとしていくと、理尽くめで説明していく事になっていく。そして合意を取り繕うとする。そしてお互いが表面で解った振りをしているだけで何も変わっていない。しかし、カッカカッカしている本人にはそれが中々判らない。第3者から客観的に見てもらい初めて気づく事になる。

人は大人になれと言う。しかし、本人は憎悪と怒りだけが残っている状態でおさまりが就かない。冷静になれ。
元々、水と油。それも更に拗れてしまった状態で何をどうすれば良いのか?

一つの考え方としてお互いが他人の考えに左右される事なく、それぞれ自分のやり方にあった自立できる妥協点を探り示す事かもしれない。
変わりたくない人に変われと言ってきた事自体が間違っていたのかも知れない。変わりたくない人には変わらないやり方を、変わりたい人には変わるやり方を。皆が同じ考え方を持つ事自体が間違っているのかもしれない。今大事な事は皆が自立していく環境、方法を見いだす事だろう。言葉を変えれば「落とし所」なのかもしれない。言葉では皆がそれぞれ独自にバラバラになるような考え方に思えるかも知れないが実際にはそれが、冷静を保って平和に協調性を保てる良き手段なのかも知れない。

油は安定し普遍的な物だという考える人。水(ドレッシングならばレモン水)は常に刺激を与え活性化しようと考える人。それぞれの良さの「落とし所」を見つければ良いのであろう。逆に油は何度も揚げ物をすれば最後には臭くなり捨てなくてはいけない事を知っていたとしてもそれは自立したそれぞれの者が対処しなくてはならない事としてネガテイブな考えを押し付けるべき事では無いのかもしれない。

人間欲がでれば、自分の考えを人に押し付けてしまう。子供、部下。立場が上に上がれば上がる程、知らず知らずの内に自分の思い通りにしたくなってしまう。そして表面では理解した状況になったとしても本音の部分ではやらされ仕事、不信感を生んでしまうのかもしれない。

もう一つ大切な事は感情を押さえる事。カッカしていれば話にもならない。
同じ視点、レベルで話をしているのではなく、もう一歩先の事を考えて言動をする事。自分の子供に話をする時であれば、出来ない事を自然と教えてあげられるのに、それが、自分の親などであれば何で自分の事を判ってくれないのか?などと必要以上に期待と要望から相手への苛立ちが高まってしまう。これがビジネスライクでは解決できない大きな課題なのであろう。親への視点から、判っていてもできない子供への見方へ自分が変わらなければ苛立ちを止める事はできないのかも知れない。
これは判っていても中々できない。それが、血縁関係の難しさだという事だろう。

どちらにしても深く、難しい事だが、自分が成長しなくてはいけない事だけは確かのようだ。

2015年1月19日月曜日

ビジネスモデル作り

20年近く営業をしてきたが、何を学んできたのか。
営業って何?から考えると、生業を営む者ではないかと思っている。
極端な話、雑用も生業を継続していく為には大切な事で、顧客との活動を通じて既存の仕組みでは対応できないイレギュラー処理も営業の大切な仕事となってくるであろう。
良く、営業は雑用処理ができる人ほど、仕事ができると言われる事は私的にはしっくりとくる。何故ならば、決められた事、(マニュアル通り)を処理するのは慣れさえあれば、十分対処できるからだ。しかし、マニュアルに無い仕事は判断基準作りから、後行程の仕組みまでを熟知していても新たな調整が必要になるからだ。良く言われるテクニカルスキル・ヒューマンスキル・コンセプチュアルスキルを総動員しなくては対処できないからだ。

さて、私の今までの仕事は?と考えると、会社全体で言えばストックビジネスだったように思われる。本来企業としては情報機器関連メーカーなのだが、何故かサプライヤーとして見られる事が多い。簡単に言えばプリンタを安く売って、消耗品で儲けている会社に見られている事が多い。自分たちは付加価値をつける事に必死なのだが、中々評価されないのも事実である。私はと言うと何故か新しい分野のものにいつも担当を任された。
良い意味で言えば新しいマニュアル作りである。そんな事を20年近くしていると、プロパーな業種チャンネルがメインストリームなのだが、必ず既存チャンネル以外の新たなビジネスチャネルを探すチャネルを模索してしまう。一言でいうと私はそこがブルーオーシャンであると考えるから。既存チャネルは価格の叩き合い。でも、ちょっと脇道にいくと、業界とは遠い存在だけれども製品自体では無く、その機能を必要としているユーザーに会う事ができる。意外かもしれないが、結構な確率でそんなユーザーに出会うものである。メーカーである私達も「そんな使い方ができるんですか?」といつも驚きを隠せない。因果なものでメーカーとしては使用想定用途以外なので品質保証の側面から了解する訳には行かないが本当に大きな驚きを得る事となる。
そんなこんなでサプライを中心としたビジネスモデル作りが今までの仕事だった。

今、長年の仕事を離れ、新しくビジネスを起こしていかなくてはならない状況に自分で追い込んでしまった。何ができるかな?と考える日々であるが、ストックビジネスモデルは色々な展開が出来る可能性に気がついた。原始的な方法は従来からある既存顧客(ストックユーザー)へのアプローチである事は理解してもらえるであろう。今、私が考えているのは多くは語れないが権利関係のストックビジネス。特許、著作権、放映権などからの商売は昔からあるが新しい可能性がある事が見え隠れしている。

2015年1月16日金曜日

自分のエキスパートとは

井口 晃さん著 「身の丈起業」と言う本を読んだ。
人に必要とされるエキスパートが必ず誰にでもあるという。
そしてその経験を必要とする方々に伝える事により対価として生業にしようと言う本である。私も、業務関係で良くセミナーなどには参加させてもらった。しかし、自分自身で費用を払って参加した事は無い事に気づき、本当にお金を払って参加するまでの必要性を感じた事が無い。そしてこの本ではその参加費用が3万円などと高価に設定する必要性を書かれている。当然、起業する立場としては単価を高く設定できた方が事業計画を立てる上では有利であろう。しかし、本当に数万円と言う費用を払ってまで参加したい内容は何か悩む。もしかしたら、企業ユーザーであれば、経費としての処理なので数万円はそんなに高いものではないかもしれない。
それはさておき、今の自分には何か人の為になるものがあるのか振り返った。
私は営業部門での経験が20年程、経理部監査業務が2年程、よくありがちなパターンだと思う。こんな自分では人に必要とされる事など無いようにも思える。

それでも、自分自信は何に困っていたか、もう一度考えてみた。
今、思えば当時相当悩んでいた事があった事に気が付いた。
それは営業管理職(課長職)に初めて就いた時の事であった。

私の担当時代は売上げ達成を何よりも重視している経営者がいた。
当然、私も目標達成を最優先事項として取り組んでいた。
その当時は、頑張っていた事もあり年間目標達成などで社長表彰などを複数回頂き、海外視察なども多々行かせて頂いた。その後、それら実績を評価されたのかも知れないが管理職に就く事となった。自分も今までのように計画達成を最重要課題として取り組んでいたが、ある時、社長が交代し社内の評価基準が大きく変わった。
売り上げ重視から、職場のコミュニケーションへの評価に変わる。具体的にどう変わるかと言うと360°評価と言うものをご存知だろうか。職場の各職位(係員、主任、係長、上司である部長など)自分に関わる数名から絶対評価をされると言うものである。
当然、目標管理に厳しければ部下からは厳しい評価をされるし、上司部長からは単に部下の意を汲んで無いと評価される。一番キツいのはその具体的な内容を私自身にフイードバックしてもらえない事である。その当時は私も経験が若かったのだと反省する。そのように会社内の仕組み、評価軸が変わればそれに合わせて部下、上司との接し方を変えなくてはならなかったのであろう。でも私は器用ではなかった。何時しか、周りの管理職はいかに部下との軋轢を生まないようにするか、一言でいえば、表面的な付き合い以上踏み込まなくなったのか知れない。
私はそれが出来なかった。結論は煙たがられる存在になっていた事を今ながら思う。
しかし、決してもう一度、その時に戻ろうとは思わない。
何故ならば、その部下達が今、管理職をするようになり、やっと腹を割って話をした時教えられた事がある。部下だった者が言うには「あの時は楽な仕事の目標設定、上司を望んでいた姿があった」そうだ。しかし、自分がそのような立場に立つと如何に高い目標設定に自分がチャレンジしていく事が自分の能力を高める事、そして達成する為に知恵を出し行動する事で自分自信と顧客とのコミュニケーションGAPを縮める力になったかを教えられた。私はそんなに体相な事をしたつもりは無かったが、ブレずに接していた事が時間を過ぎて気持ちが伝わった事がありがたく思えてしかた無い。

今年、新しく管理職になった方も課長職として求められる事が何なのか判らない方も多いと思う。実際、会社からそんな求める事をきちんと言われる方が稀だと思うからである。
多くの方は自分自信の中で、一人苦悩している方も多いであろう。

一つ参考になれば嬉しいが、私が学んだ事は自らが模範行動する事。
そして、喜びを素直に分かち合う事ではないかと思う。




本を良く読んで

2015年1月11日日曜日

自分のルーツを知る事

1月3日父が他界した。ここに書くような内容ではないかも知れないが心の整理の為、記録の為、にも書く事にした。

正月と言う事もあり火葬場の手配の関係から葬儀が10日となってしまった。
家族にとって、父の遺体と向き合う7日間は本当に長いものであった。

毎日、亡き父の顔を見ては涙が出、普段のふるまいをしようと必死に明るい素振りをしようとしても何かのきっかけで涙ぐむ自分が嫌で嫌で仕方なかった。

葬儀の会葬依頼をする為に、親類関係の名簿を確認した。改まって見る機会も今まで正直無かった。時間があるといろんな事を始めるものだと思う。

親の親類関係なので、普段行き来頂く方と疎遠な方とで極端に分かれてしまう。
我が家の場合、本家筋とは父が短気な性格な事もあり、過去にいろいろ事件があった事が判った。そんな事もあり、父方、本家とは疎遠になってしまったようだ。
喪に服するとはそんなものかも知れない。
自分にとっては何も知らない事は素直な自分の姿であり、ありのままでいいと思うが、父に恥をかかす事はできない事が苦痛である。

親類関係の繋がりを知る事も大事な事であるが、もっと大切な事は家族のルーツを知る、振り返る事だと数日して気付いた。親類あっての自分達かも知れないが、本当に大切な事は家族の絆と生き様、共通の価値観だと思う。

父という事を中心にいろいろな思いが湧き上がる。
小さな時の想いで、楽しかった事、辛かった事、感謝する事。様々である。
そして家族は良きも悪くも常に一緒であった。
日々生活する上で喜び、感謝、憎しみ、時折々様々な気持ちを持ってきた。

しかし、その時は知らなかったその裏にある場面、背景の気持ちを今知る事になる。
厳しい言葉を言われた事もあるが、実は心配してくれた気持ちからの思いであった事も知る事になる。

今、感謝の気持ちを伝えたくても返事をしてもらえない親父を目の前に、目に涙が満ちてくる。
今なら素直になれる自分がいる事に気付く・・・・本当にありがとう。