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2014年10月3日金曜日

機能美、そして普通である美しさ

男ならばF1マシンを美しいと思う人は多いのではないか。
では何故だろう?

車の本来の本質である「速く走る」「止まる」「曲がる」を極限まで追求したデザインであるからだと私は思う。
しかし、目的を究極まで突き止めていくと不自由な事も多くなる。
市街地でF1を走らせようとしても、エンジン回転数が低ければトルクもパワーも無く、エンストだらけになるであろう。
交差点を曲がろうとしてもハンドルが切れないので曲がれない。
ある限られた目的に特化したプロダクトは不合理でもある。

不合理であっても自分が使うものでは無いので憧れでいられる。
自分が使うとしたら、使えない物になってしまい、憧れがガラクタに変わるだろう。

究極の製品としては使う人を極端に選ぶ。誰もが保有する事を極端に嫌う。
ヨットもそうだ。
レースヨットは室内に何も無い。豪華なキャビンもギャレーも何も無い。
何も無い理由は?船艇重量を軽くする事、セールの出し入れがし易い事。そしてそもそも、レースに勝つ為に人の居住性は最低限に設定している為だ。
極限の製品とはそんなものだろう。
工業用途製品とコンシューマー用製品。これも同じように目的を達成する為に、極端に飾りを排除している。

男性と女性では当然価値観が変わる。
男性は一般的にソリッドなデザインが好まれるが女性は柔らかいデザインを好む。卵型のように包むようなフォルムに女性は共感する事が多い。いろいろな説があるが、外見的な問題ではなく、社会的価値観から自分が包み込まれるような安心感を求めているからだとも言われる。

女性の例えで例をあげたが今の時代男性でも社会的な安定感を得たいのは同じことだが、その表現を直接的、間接的に表現するかの違いかもしれない。

本当に共感できるデザインとはどんなモノだろうか?

日経ビジネスオンラインに非常に共感できる対談記事が書かれていたので紹介したい。
カー&プロダクトデザイナー/SWdesign代表 和田 智さん 「美しい普通」を創りたい」

非常に良い記事だ。日本とヨーロッパの車に対する文化の違いそのものだと思う。
個人個人、様々な価値観があるので良いとか悪いとかの問題ではなく、製品としての本質、機能を高次元で融合し、提供し続けていく事。
これこそが文化を作る上で重要な事だろう。
新しいものは確かに目を引く。しかし、飽きる事も速い。良いものは体の機能の一部となり長く使えるものだ。
私も最高級の「普通」に共感したい。

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