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2014年10月9日木曜日

情報の非対称性、裁定取引

情報の非対称性、裁定取引
聞きなれない言葉だ。
業界にいる方なら判るだろうが、簡単に言えば以下のような意味だ。

情報の非対称性
商売を例にするならば、買い手と売り手のそれぞれの立場で、情報量が違う為に生じる商売の不合理性
よく例にだされるのは
①不動産。売り手は該当物件の全てを当然知っているが、買い手は情報を提示されるまで知りえない情報が沢山ある。
当然、買い手は弱い立場となる。
②生命保険
今度は生命保険会社がリスクヘッジする立場になるのだが、
生命保険契約は契約予定者の体調、健康状態など、知りえるすべは限られる。医者の診断書などの提示義務もあろうが、些細な病気、積極的な提示はまずしないであろう。免責期間が完了し告知内容義務違反に該当しない内容であれば支払義務が発生する。

裁定取引
更に聞きなれない言葉だが、証券会社業界でよく使われる。
簡単にいえば、金利差や価格差を利用し売買する事で利ザヤを稼ぐ取引。
たとえば、缶ジュースを考えてみたい。普段、都内自販機で買えば150円のペットボトルが山にいけば300円で販売されていても買う人はいるであろう。
需要と供給のバランスで価格は決まるので当然かと思う。

実はこれら2つを巧みに取り入れた商売をしている上場企業がある。
良く考えたもので何もしなくても利益が上がるビジネスである。
あえて、企業名は書かないがこれらは多くのビジネスに転用ができる。


2014年10月3日金曜日

自分の言葉を言いキル事の大切さ

今まで、このblogを書いていて気付いた。
自分の言葉なのにやけに他人行儀でいる事に。

サラリーマンを長くしていると自分の意見を言い切る事にリスクテークする条件反射が付いてしまっている。
誰でも人から批判する事は避けたい。だから自分の意見ではなく、人の意見を引用してみたり、ハッキリとした評価を避けてしまう。
それが、長い社会経験をすると更に自己防衛本能が働いていく。

~のようだ。~だと思う。本当の自分の言葉はあるのだが何故かオブラードに包んでしまう。
それと無用なトラブルを避ける為に 「です。ます。」調になりがちである。要は柔らかいトーンにしたがる自分がいる。

日本人の特徴かもしれないが、自己主張よりも協調を優先される。欧米は逆だ。
自分をそのまま表現しないからお互い表面的なコミュニケーションで終わってしまうのだろう。その方が人間楽である。
本当の自分を解ってもらうにはパワーがいる。そしてリスクも。しかし、自分をさらけ出して見せる事ができたなら今までになかった深い繋がりを持てる事がこの頃判ってきた。

何も求めず、必要とあらば無償の奉仕で自分から積極的に自分を見せる事が出来たなら。
忘れてはならない事は何をしても良いという事では無い。相手の立場を考え自己本位にならないようにコミュニケーションストロークを持つという事が本当の信頼を得る為に必要であろう。

私は自分を変える為に自分のありのままの思いを言葉にする事を決めた。人生素直になろうと思う。

手段と目的。得られる満足度は?

「手段と目的を吐き間違えるな!」
25年前、前職の設備設計業に入社した時よく言われた事だ。
何を言っているかというと本当に達成しなくてはならない目的は何かという事に対してそれに必要な手段がを探さなくてはならない。
しかし、仕事に慣れだすと手段を実行している事がいつの間にか目的となっている事が度々起こってしまう。
全体を俯瞰できる能力を持った先輩だからこそ自分をちゃんと見ていてくれた。今改めてそんなアドバイスを頂けた先輩に感謝する。

現代は便利になった。その当時は携帯電話など当然無い。モノもありふれている。購入チャンネルも大手量販店からネットまで。何なら海外製品を直接購入できる事も容易くできる。

しかし、本当に自分の感性にドンピシャな製品ってどの位あるか?

家族の一つの夢であるマイホームも昔は近くの工務店、大工さんに頼んで、自分の思いで作ったものだ。
今の時勢はハウスメーカー、建売不動産業者が進出しており、昔の工務店もハウスメーカーの下請業となり個人相手をなかなかしてくれない。
設計事務所も星のようにあるのだが、ハウスメーカーでは発生しない設計料が設計事務所に依頼した場合、15%程度払う事に一般のは敬遠する。いや、設計事務所にコンタクトを取る事自体、縁故が無いと敷居が高く無縁であるかも知れない。

ではどうなるか?
本当に自分の拘りを持った家は作れるのか。一生一度の買い物なのに・・・。
自分が描きたい本質の部分(目的)は何かを見つめよう。

ハウスメーカーに頼むのは一つの手段だ。自分の根っこにある思いを形にしてみよう。
実現できる事は限られてしまうかも知れないが、後悔しないように拘ろう。

自分だけの事ではなく、子供も父の背中、感性を受け継ぐ。これが文化と言うものだと思う。

機能美、そして普通である美しさ

男ならばF1マシンを美しいと思う人は多いのではないか。
では何故だろう?

車の本来の本質である「速く走る」「止まる」「曲がる」を極限まで追求したデザインであるからだと私は思う。
しかし、目的を究極まで突き止めていくと不自由な事も多くなる。
市街地でF1を走らせようとしても、エンジン回転数が低ければトルクもパワーも無く、エンストだらけになるであろう。
交差点を曲がろうとしてもハンドルが切れないので曲がれない。
ある限られた目的に特化したプロダクトは不合理でもある。

不合理であっても自分が使うものでは無いので憧れでいられる。
自分が使うとしたら、使えない物になってしまい、憧れがガラクタに変わるだろう。

究極の製品としては使う人を極端に選ぶ。誰もが保有する事を極端に嫌う。
ヨットもそうだ。
レースヨットは室内に何も無い。豪華なキャビンもギャレーも何も無い。
何も無い理由は?船艇重量を軽くする事、セールの出し入れがし易い事。そしてそもそも、レースに勝つ為に人の居住性は最低限に設定している為だ。
極限の製品とはそんなものだろう。
工業用途製品とコンシューマー用製品。これも同じように目的を達成する為に、極端に飾りを排除している。

男性と女性では当然価値観が変わる。
男性は一般的にソリッドなデザインが好まれるが女性は柔らかいデザインを好む。卵型のように包むようなフォルムに女性は共感する事が多い。いろいろな説があるが、外見的な問題ではなく、社会的価値観から自分が包み込まれるような安心感を求めているからだとも言われる。

女性の例えで例をあげたが今の時代男性でも社会的な安定感を得たいのは同じことだが、その表現を直接的、間接的に表現するかの違いかもしれない。

本当に共感できるデザインとはどんなモノだろうか?

日経ビジネスオンラインに非常に共感できる対談記事が書かれていたので紹介したい。
カー&プロダクトデザイナー/SWdesign代表 和田 智さん 「美しい普通」を創りたい」

非常に良い記事だ。日本とヨーロッパの車に対する文化の違いそのものだと思う。
個人個人、様々な価値観があるので良いとか悪いとかの問題ではなく、製品としての本質、機能を高次元で融合し、提供し続けていく事。
これこそが文化を作る上で重要な事だろう。
新しいものは確かに目を引く。しかし、飽きる事も速い。良いものは体の機能の一部となり長く使えるものだ。
私も最高級の「普通」に共感したい。

2014年10月2日木曜日

自分探し「やりがい」

9月も終わった。
9月末が半期末の企業も多いだろう。
私の職場もそうだ。

営業であれば定量評価としての売上実績確認と定性評価としてのプロセス評価がある。
期初に描いた「ありたい姿」と半期末での結果が上司評価となる。

上司感情もあるだろうが、申告した活動と実績が伴なっていて数字が伸びないのであれば、外的要因、やり方の見直しを検討しなくてはならない。しかし、大事な事は後悔を述べる場ではなく、これからどうしていくかを考える場である事。
結構、上司から「どうして数字が達成できなかったんだ!」、もしくは言い訳を述べ始める部下が多い。
終わった事を振り返る事は大事だが、感情論では何も解決しない事と具体的な施策検討をする前向きな場にする事を冷静な上司であれば望んでいるのではないかと思う。

話は変わるが半期末で人事異動もある。
面談という名目で人事異動の内示がある。転勤を伴えば普通であれば1か月前には打診があるのが一般的?(突然の会社も当然ある)であり半期末前1か月での異例の面談で身構える。

上司は異動の内示をどのように考えているのであろうか。(私の場合は部門長、役員からの内示が今までの通例であった)
内示先の本人が40代頃の生活費が掛かる世代であれば転職の可能性も少なく当然会社の指示に従わざるえない。
そんな「当然」の意識の中で上司の立場は単なる業務連絡となるだろう。そしてもう一つの選択肢はそれぞれの事情、各自の人生設計、仕事への価値観からの「退職」と言う選択肢。「想定外の展開」もしくは「シナリオが崩れた」と言う場面になり上司としての立場を左右する最大のピンチに出会う事になる。部下の掌握という能力を問われる切実な問題に接するであろう。

上司とは何なのか?
計画に対して費用対効果の最大化を図る為に進捗管理と動機付けをするだけであろうか。
部下の価値観、将来設計まで踏み込んで真摯に向き合って行くことが決して良い事ばかりでは無い。
現在の若い世代は「個」の価値観が多様化している。親身になってくれる上司を「余計な世話好き上司」、「そこまで考えてくれる上司」、「自分の出世の為に部下を利用しようとしている腹黒い上司」など同じ接し方をしていても受け止め方は多種多様かと思う。
どんな場合であっても、単に業務命令の伝達では気持ちは伝わらないであろうし、職場、職務を変える指示を出す事に相手の人生が変わるという事に真摯に向きあう事が必要だと思う。逆に言えば上司としての立場を守る為にも部下が何を考えているかをしっかりと把握する事は必要な事であろう。

これからの時代、部下の「やりがい」を一緒になって考え、実行できる環境を提供できる企業、職場が大きな成果を導きだせる時代である事は確かであろう。私にとっての「やりがい」は仕事に「誇り」を持てる事をこの頃感じるようになってきた。