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2015年2月25日水曜日

情報の共有化

多くの企業で言われている事に情報の共有化があろう。
私も前職の職場ではしきりに言われてきた。
やり方は様々あるかと思う。メールでの配信。ミーテイング時での報告。
情報の共有化自体は間違った事ではないと思う。

しかし、今までの経験で単に何から何までCC配信をしてこられた事。
前提になる本題、趣旨が何かを見失っている内容の配信など様々であった。
情報の共有の本質は組織内のメンバーが現在起こっている事、知らなくては行けない事、業務上必要なスキル、知識の平準化ではないかと思う。

最悪のケースは単に全てを流して話がモメた際に自分の発言の見方をつけようとする行為ではないかと思う。情報を発信していているだけでマネージメントが済んでいると勘違いするマネージャである。これは目的と手段の吐き違いでしかないであろう。

一部の人間だけで隠密に事が進められる風土より、何かしら情報を配信されている方が安心感があるものの、受け止める方の考え方次第でスルーするか、きちんと受け取るかが決まるので受ける立場も考えて情報共有化の方法も考えなくてはならないであろう。

私も少ない時でも日に150件、多い日には300件近くのメールを頂く。全てが見れる訳ではないのでプライオリテイを考えた情報の共有化が必要であろう。



水と油。協調の仕方探し。

人の考えは10人いれば10色だという事を改めて痛感している。
皆の為と思った事がその人にとっては解ったと言っていても、本当は解ろうとできない(解りたくない)事も多々あるという事。そのような時、言った本人は何故、約束した事が守ってもらえないのか憤りを感じる。その内容が人生を左右するような内容であれば、その気持ちもどんなに大きいだろうか。例えば、親が年老いて、実家の家業を助けようとして退職を決意し、両親の同意を確認した上で実施した時。退職した後、自分に仕事を任せてもらえるものと思っていたら、全くその気が無い事が解った時は失望感と今までの信頼関係が粉々となり憎悪だけが残る。

水と油。例えばフレンチドレッシングに例えて見ると、何も無ければ水分と油は必ず分離している。それを思いっきり振ってみると細かい泡になり混じり合う。その時の色は白く濁る。この時は両者が何かの思いから会話が始まり、一応は合意に至った状態なのかもしれない。しかし、時間が経つと水と油に分かれて行ってしまう。この繰り返しである。
フレンチドレッシングならば単に振ると言う動作の繰り返しでも大きな苦にはならない。しかし、人間同士は会話の中で了解した事に信頼を感じ、その相互了解事項が守られなかった時、信頼が崩れていく。その内容が本人にとって人生を左右する重要な事ならば、尚更だろう。

どうしたら良いのか。根本的に「理解してもらえるように会話ができてないんだよ。」と言う方もいる。本人からすれば、一生を賭けた内容なので今までに無い程、真剣に話をしている。頭を下げる場面もあろう。これ以上どう話をしたら良いのか解らなくて苦悩するであろう。しかし、良く考えれば、何も変わりたくない人にとっては苦痛でしか無いかもしれない。それが将来を考えた良き選択であったとしても変わりたく無い人にとってはそれで良い事かも知れない。
理論的に考えられる人、理屈は解っても今の状況を変えたくない人。人、様々だ。

人間、冷静になれば判る事でも追いつめられた時、自分の事を解ってもらおうとしていくと、理尽くめで説明していく事になっていく。そして合意を取り繕うとする。そしてお互いが表面で解った振りをしているだけで何も変わっていない。しかし、カッカカッカしている本人にはそれが中々判らない。第3者から客観的に見てもらい初めて気づく事になる。

人は大人になれと言う。しかし、本人は憎悪と怒りだけが残っている状態でおさまりが就かない。冷静になれ。
元々、水と油。それも更に拗れてしまった状態で何をどうすれば良いのか?

一つの考え方としてお互いが他人の考えに左右される事なく、それぞれ自分のやり方にあった自立できる妥協点を探り示す事かもしれない。
変わりたくない人に変われと言ってきた事自体が間違っていたのかも知れない。変わりたくない人には変わらないやり方を、変わりたい人には変わるやり方を。皆が同じ考え方を持つ事自体が間違っているのかもしれない。今大事な事は皆が自立していく環境、方法を見いだす事だろう。言葉を変えれば「落とし所」なのかもしれない。言葉では皆がそれぞれ独自にバラバラになるような考え方に思えるかも知れないが実際にはそれが、冷静を保って平和に協調性を保てる良き手段なのかも知れない。

油は安定し普遍的な物だという考える人。水(ドレッシングならばレモン水)は常に刺激を与え活性化しようと考える人。それぞれの良さの「落とし所」を見つければ良いのであろう。逆に油は何度も揚げ物をすれば最後には臭くなり捨てなくてはいけない事を知っていたとしてもそれは自立したそれぞれの者が対処しなくてはならない事としてネガテイブな考えを押し付けるべき事では無いのかもしれない。

人間欲がでれば、自分の考えを人に押し付けてしまう。子供、部下。立場が上に上がれば上がる程、知らず知らずの内に自分の思い通りにしたくなってしまう。そして表面では理解した状況になったとしても本音の部分ではやらされ仕事、不信感を生んでしまうのかもしれない。

もう一つ大切な事は感情を押さえる事。カッカしていれば話にもならない。
同じ視点、レベルで話をしているのではなく、もう一歩先の事を考えて言動をする事。自分の子供に話をする時であれば、出来ない事を自然と教えてあげられるのに、それが、自分の親などであれば何で自分の事を判ってくれないのか?などと必要以上に期待と要望から相手への苛立ちが高まってしまう。これがビジネスライクでは解決できない大きな課題なのであろう。親への視点から、判っていてもできない子供への見方へ自分が変わらなければ苛立ちを止める事はできないのかも知れない。
これは判っていても中々できない。それが、血縁関係の難しさだという事だろう。

どちらにしても深く、難しい事だが、自分が成長しなくてはいけない事だけは確かのようだ。

2015年1月19日月曜日

ビジネスモデル作り

20年近く営業をしてきたが、何を学んできたのか。
営業って何?から考えると、生業を営む者ではないかと思っている。
極端な話、雑用も生業を継続していく為には大切な事で、顧客との活動を通じて既存の仕組みでは対応できないイレギュラー処理も営業の大切な仕事となってくるであろう。
良く、営業は雑用処理ができる人ほど、仕事ができると言われる事は私的にはしっくりとくる。何故ならば、決められた事、(マニュアル通り)を処理するのは慣れさえあれば、十分対処できるからだ。しかし、マニュアルに無い仕事は判断基準作りから、後行程の仕組みまでを熟知していても新たな調整が必要になるからだ。良く言われるテクニカルスキル・ヒューマンスキル・コンセプチュアルスキルを総動員しなくては対処できないからだ。

さて、私の今までの仕事は?と考えると、会社全体で言えばストックビジネスだったように思われる。本来企業としては情報機器関連メーカーなのだが、何故かサプライヤーとして見られる事が多い。簡単に言えばプリンタを安く売って、消耗品で儲けている会社に見られている事が多い。自分たちは付加価値をつける事に必死なのだが、中々評価されないのも事実である。私はと言うと何故か新しい分野のものにいつも担当を任された。
良い意味で言えば新しいマニュアル作りである。そんな事を20年近くしていると、プロパーな業種チャンネルがメインストリームなのだが、必ず既存チャンネル以外の新たなビジネスチャネルを探すチャネルを模索してしまう。一言でいうと私はそこがブルーオーシャンであると考えるから。既存チャネルは価格の叩き合い。でも、ちょっと脇道にいくと、業界とは遠い存在だけれども製品自体では無く、その機能を必要としているユーザーに会う事ができる。意外かもしれないが、結構な確率でそんなユーザーに出会うものである。メーカーである私達も「そんな使い方ができるんですか?」といつも驚きを隠せない。因果なものでメーカーとしては使用想定用途以外なので品質保証の側面から了解する訳には行かないが本当に大きな驚きを得る事となる。
そんなこんなでサプライを中心としたビジネスモデル作りが今までの仕事だった。

今、長年の仕事を離れ、新しくビジネスを起こしていかなくてはならない状況に自分で追い込んでしまった。何ができるかな?と考える日々であるが、ストックビジネスモデルは色々な展開が出来る可能性に気がついた。原始的な方法は従来からある既存顧客(ストックユーザー)へのアプローチである事は理解してもらえるであろう。今、私が考えているのは多くは語れないが権利関係のストックビジネス。特許、著作権、放映権などからの商売は昔からあるが新しい可能性がある事が見え隠れしている。

2015年1月16日金曜日

自分のエキスパートとは

井口 晃さん著 「身の丈起業」と言う本を読んだ。
人に必要とされるエキスパートが必ず誰にでもあるという。
そしてその経験を必要とする方々に伝える事により対価として生業にしようと言う本である。私も、業務関係で良くセミナーなどには参加させてもらった。しかし、自分自身で費用を払って参加した事は無い事に気づき、本当にお金を払って参加するまでの必要性を感じた事が無い。そしてこの本ではその参加費用が3万円などと高価に設定する必要性を書かれている。当然、起業する立場としては単価を高く設定できた方が事業計画を立てる上では有利であろう。しかし、本当に数万円と言う費用を払ってまで参加したい内容は何か悩む。もしかしたら、企業ユーザーであれば、経費としての処理なので数万円はそんなに高いものではないかもしれない。
それはさておき、今の自分には何か人の為になるものがあるのか振り返った。
私は営業部門での経験が20年程、経理部監査業務が2年程、よくありがちなパターンだと思う。こんな自分では人に必要とされる事など無いようにも思える。

それでも、自分自信は何に困っていたか、もう一度考えてみた。
今、思えば当時相当悩んでいた事があった事に気が付いた。
それは営業管理職(課長職)に初めて就いた時の事であった。

私の担当時代は売上げ達成を何よりも重視している経営者がいた。
当然、私も目標達成を最優先事項として取り組んでいた。
その当時は、頑張っていた事もあり年間目標達成などで社長表彰などを複数回頂き、海外視察なども多々行かせて頂いた。その後、それら実績を評価されたのかも知れないが管理職に就く事となった。自分も今までのように計画達成を最重要課題として取り組んでいたが、ある時、社長が交代し社内の評価基準が大きく変わった。
売り上げ重視から、職場のコミュニケーションへの評価に変わる。具体的にどう変わるかと言うと360°評価と言うものをご存知だろうか。職場の各職位(係員、主任、係長、上司である部長など)自分に関わる数名から絶対評価をされると言うものである。
当然、目標管理に厳しければ部下からは厳しい評価をされるし、上司部長からは単に部下の意を汲んで無いと評価される。一番キツいのはその具体的な内容を私自身にフイードバックしてもらえない事である。その当時は私も経験が若かったのだと反省する。そのように会社内の仕組み、評価軸が変わればそれに合わせて部下、上司との接し方を変えなくてはならなかったのであろう。でも私は器用ではなかった。何時しか、周りの管理職はいかに部下との軋轢を生まないようにするか、一言でいえば、表面的な付き合い以上踏み込まなくなったのか知れない。
私はそれが出来なかった。結論は煙たがられる存在になっていた事を今ながら思う。
しかし、決してもう一度、その時に戻ろうとは思わない。
何故ならば、その部下達が今、管理職をするようになり、やっと腹を割って話をした時教えられた事がある。部下だった者が言うには「あの時は楽な仕事の目標設定、上司を望んでいた姿があった」そうだ。しかし、自分がそのような立場に立つと如何に高い目標設定に自分がチャレンジしていく事が自分の能力を高める事、そして達成する為に知恵を出し行動する事で自分自信と顧客とのコミュニケーションGAPを縮める力になったかを教えられた。私はそんなに体相な事をしたつもりは無かったが、ブレずに接していた事が時間を過ぎて気持ちが伝わった事がありがたく思えてしかた無い。

今年、新しく管理職になった方も課長職として求められる事が何なのか判らない方も多いと思う。実際、会社からそんな求める事をきちんと言われる方が稀だと思うからである。
多くの方は自分自信の中で、一人苦悩している方も多いであろう。

一つ参考になれば嬉しいが、私が学んだ事は自らが模範行動する事。
そして、喜びを素直に分かち合う事ではないかと思う。




本を良く読んで

2015年1月11日日曜日

自分のルーツを知る事

1月3日父が他界した。ここに書くような内容ではないかも知れないが心の整理の為、記録の為、にも書く事にした。

正月と言う事もあり火葬場の手配の関係から葬儀が10日となってしまった。
家族にとって、父の遺体と向き合う7日間は本当に長いものであった。

毎日、亡き父の顔を見ては涙が出、普段のふるまいをしようと必死に明るい素振りをしようとしても何かのきっかけで涙ぐむ自分が嫌で嫌で仕方なかった。

葬儀の会葬依頼をする為に、親類関係の名簿を確認した。改まって見る機会も今まで正直無かった。時間があるといろんな事を始めるものだと思う。

親の親類関係なので、普段行き来頂く方と疎遠な方とで極端に分かれてしまう。
我が家の場合、本家筋とは父が短気な性格な事もあり、過去にいろいろ事件があった事が判った。そんな事もあり、父方、本家とは疎遠になってしまったようだ。
喪に服するとはそんなものかも知れない。
自分にとっては何も知らない事は素直な自分の姿であり、ありのままでいいと思うが、父に恥をかかす事はできない事が苦痛である。

親類関係の繋がりを知る事も大事な事であるが、もっと大切な事は家族のルーツを知る、振り返る事だと数日して気付いた。親類あっての自分達かも知れないが、本当に大切な事は家族の絆と生き様、共通の価値観だと思う。

父という事を中心にいろいろな思いが湧き上がる。
小さな時の想いで、楽しかった事、辛かった事、感謝する事。様々である。
そして家族は良きも悪くも常に一緒であった。
日々生活する上で喜び、感謝、憎しみ、時折々様々な気持ちを持ってきた。

しかし、その時は知らなかったその裏にある場面、背景の気持ちを今知る事になる。
厳しい言葉を言われた事もあるが、実は心配してくれた気持ちからの思いであった事も知る事になる。

今、感謝の気持ちを伝えたくても返事をしてもらえない親父を目の前に、目に涙が満ちてくる。
今なら素直になれる自分がいる事に気付く・・・・本当にありがとう。


2014年12月23日火曜日

世界の一流家具と一流の情報提供

世界の製品訴求の方向性について
イタリアの一流の家具メーカーFlouと言う企業があります。
http://www.flou.it/beds


HPも本当に良くできたデザインで流石と言わせる品質です。
今回、ここでご紹介したいのは単にHPが良くできていると言う事ではなくて、もう一歩
ビジネスに踏み込んだサービスを提供している面をご紹介したく書きました。
ビジネスモデルの側面から家具製造業の顧客すなわち
誰に、何を、どのように。と言う面で考えた場合、個人宅用のベットであれば対象者はエンドユーザーではないでしょうか。
何をはベット、どのようにはショールームを通じてとなるかと思います。

こちらのメーカは単に写真紹介だけではなく製品情報の提供は徹底しております。殆どの製品が2D,3Dデータを提供しています。

実際、3Dデータを確認すると3Dレーザースキャナーで取得した点群データです。
多分、このデータはインテリアデザイナー、建築家がカラーリングや配置確認する為に使用するものだとは思いますが
日本国内でここまでのデータを提供しているメーカーはまだまだ限られています。多分、データを利用できる環境が整っていない事もあるでしょう。
そこは世界を相手にする一流メーカー故に流通モデル、扱う業者の質が異なるのでしょう。

しかし、ユーザーから見るとこの点群データの使い方は厄介です。
3DCGのスキルの中でも点群データは特殊で扱えるアプリが限られています。AutodeskだとMayaは不可で3DsMAXはokなど。そして一番の課題はレンダリングの設定次第で製品価値を著しく低下させてしまう事。RendererもそれなりのMaxwellRenderかVrayとかが必要になるかと思います。
それだけのスキルを持った業者がこの製品取り扱い業者に多く存在すると言う事でもあろうかと思います。
言葉を変えれば他社差別化がしっかりとされたアイテムと言う事ですね。

Youtubeにレンダリング方法がありましたのでご参考に。結構大変です。
maxwell render work flow

2014年12月10日水曜日

かぐや姫 for ever

先日、テレビで元「かぐや姫」だった南こうせつさんの番組を見る事ができた。

福岡県に生まれ育って、寺の住職の息子さん。
歌が好きで。とても上手く。お布施ならぬこずかいを小学生の事から檀家の方から頂いていたそうだ。
歌もフォークだけでは無いRRもさすがに上手い。
当時の情報は全て東京から発信されていたようで大学は東京へ。

グループ名の由来は環八高円寺近くの竹林の中で練習していたから「かぐや姫」。
そのまんまだけれども、当時はグループサウンズ旺盛な時代、カタカタ名にしても覚えてもらえないだろうとという事でネーミングしたとか。
考えてないようで考えている。

私も小さい頃、よく「かぐや姫」を聞いた。
何か、心に響くものがある。

テレビを見ていて、何でかぐや姫の曲が今でも心に響くかが知りたかった。

当時1970年代は大きな時代の変わり目だったようだ。
当然、今のようにPCもwebも無い。

私は当時10歳程度だったので記憶も少ないが我が家はモノクロテレビだった事だけは覚えている。
そんな時代で、南さんが言っていたのは「がむしゃらに生きているが、どう自分達の夢を叶えるにはどうしていいか解らずがもやもやした時期だった」
と言われていた。

何か、今の時代との共通点を感じた。
今の時代、物は溢れている。internetで情報も限りないくらい溢れている。
今と昔では物資、情報面で全く状況は異なるが、生活の中で充実感と満足が得られているであろうか。それ以上に社会の不安を感じる。
こんなにも便利な世の中なのに。

本当の幸せとは何か、「3畳一間の小さな下宿」。小さい部屋ながら暖かい団欒を感じるのは私だけであろうか。
物はなくても心の温かさがある事を感じる。今の社会にとって一番足りないものが見えるような気がする。

日本人の心のルーツかも知れない。