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2015年1月19日月曜日

ビジネスモデル作り

20年近く営業をしてきたが、何を学んできたのか。
営業って何?から考えると、生業を営む者ではないかと思っている。
極端な話、雑用も生業を継続していく為には大切な事で、顧客との活動を通じて既存の仕組みでは対応できないイレギュラー処理も営業の大切な仕事となってくるであろう。
良く、営業は雑用処理ができる人ほど、仕事ができると言われる事は私的にはしっくりとくる。何故ならば、決められた事、(マニュアル通り)を処理するのは慣れさえあれば、十分対処できるからだ。しかし、マニュアルに無い仕事は判断基準作りから、後行程の仕組みまでを熟知していても新たな調整が必要になるからだ。良く言われるテクニカルスキル・ヒューマンスキル・コンセプチュアルスキルを総動員しなくては対処できないからだ。

さて、私の今までの仕事は?と考えると、会社全体で言えばストックビジネスだったように思われる。本来企業としては情報機器関連メーカーなのだが、何故かサプライヤーとして見られる事が多い。簡単に言えばプリンタを安く売って、消耗品で儲けている会社に見られている事が多い。自分たちは付加価値をつける事に必死なのだが、中々評価されないのも事実である。私はと言うと何故か新しい分野のものにいつも担当を任された。
良い意味で言えば新しいマニュアル作りである。そんな事を20年近くしていると、プロパーな業種チャンネルがメインストリームなのだが、必ず既存チャンネル以外の新たなビジネスチャネルを探すチャネルを模索してしまう。一言でいうと私はそこがブルーオーシャンであると考えるから。既存チャネルは価格の叩き合い。でも、ちょっと脇道にいくと、業界とは遠い存在だけれども製品自体では無く、その機能を必要としているユーザーに会う事ができる。意外かもしれないが、結構な確率でそんなユーザーに出会うものである。メーカーである私達も「そんな使い方ができるんですか?」といつも驚きを隠せない。因果なものでメーカーとしては使用想定用途以外なので品質保証の側面から了解する訳には行かないが本当に大きな驚きを得る事となる。
そんなこんなでサプライを中心としたビジネスモデル作りが今までの仕事だった。

今、長年の仕事を離れ、新しくビジネスを起こしていかなくてはならない状況に自分で追い込んでしまった。何ができるかな?と考える日々であるが、ストックビジネスモデルは色々な展開が出来る可能性に気がついた。原始的な方法は従来からある既存顧客(ストックユーザー)へのアプローチである事は理解してもらえるであろう。今、私が考えているのは多くは語れないが権利関係のストックビジネス。特許、著作権、放映権などからの商売は昔からあるが新しい可能性がある事が見え隠れしている。

2015年1月16日金曜日

自分のエキスパートとは

井口 晃さん著 「身の丈起業」と言う本を読んだ。
人に必要とされるエキスパートが必ず誰にでもあるという。
そしてその経験を必要とする方々に伝える事により対価として生業にしようと言う本である。私も、業務関係で良くセミナーなどには参加させてもらった。しかし、自分自身で費用を払って参加した事は無い事に気づき、本当にお金を払って参加するまでの必要性を感じた事が無い。そしてこの本ではその参加費用が3万円などと高価に設定する必要性を書かれている。当然、起業する立場としては単価を高く設定できた方が事業計画を立てる上では有利であろう。しかし、本当に数万円と言う費用を払ってまで参加したい内容は何か悩む。もしかしたら、企業ユーザーであれば、経費としての処理なので数万円はそんなに高いものではないかもしれない。
それはさておき、今の自分には何か人の為になるものがあるのか振り返った。
私は営業部門での経験が20年程、経理部監査業務が2年程、よくありがちなパターンだと思う。こんな自分では人に必要とされる事など無いようにも思える。

それでも、自分自信は何に困っていたか、もう一度考えてみた。
今、思えば当時相当悩んでいた事があった事に気が付いた。
それは営業管理職(課長職)に初めて就いた時の事であった。

私の担当時代は売上げ達成を何よりも重視している経営者がいた。
当然、私も目標達成を最優先事項として取り組んでいた。
その当時は、頑張っていた事もあり年間目標達成などで社長表彰などを複数回頂き、海外視察なども多々行かせて頂いた。その後、それら実績を評価されたのかも知れないが管理職に就く事となった。自分も今までのように計画達成を最重要課題として取り組んでいたが、ある時、社長が交代し社内の評価基準が大きく変わった。
売り上げ重視から、職場のコミュニケーションへの評価に変わる。具体的にどう変わるかと言うと360°評価と言うものをご存知だろうか。職場の各職位(係員、主任、係長、上司である部長など)自分に関わる数名から絶対評価をされると言うものである。
当然、目標管理に厳しければ部下からは厳しい評価をされるし、上司部長からは単に部下の意を汲んで無いと評価される。一番キツいのはその具体的な内容を私自身にフイードバックしてもらえない事である。その当時は私も経験が若かったのだと反省する。そのように会社内の仕組み、評価軸が変わればそれに合わせて部下、上司との接し方を変えなくてはならなかったのであろう。でも私は器用ではなかった。何時しか、周りの管理職はいかに部下との軋轢を生まないようにするか、一言でいえば、表面的な付き合い以上踏み込まなくなったのか知れない。
私はそれが出来なかった。結論は煙たがられる存在になっていた事を今ながら思う。
しかし、決してもう一度、その時に戻ろうとは思わない。
何故ならば、その部下達が今、管理職をするようになり、やっと腹を割って話をした時教えられた事がある。部下だった者が言うには「あの時は楽な仕事の目標設定、上司を望んでいた姿があった」そうだ。しかし、自分がそのような立場に立つと如何に高い目標設定に自分がチャレンジしていく事が自分の能力を高める事、そして達成する為に知恵を出し行動する事で自分自信と顧客とのコミュニケーションGAPを縮める力になったかを教えられた。私はそんなに体相な事をしたつもりは無かったが、ブレずに接していた事が時間を過ぎて気持ちが伝わった事がありがたく思えてしかた無い。

今年、新しく管理職になった方も課長職として求められる事が何なのか判らない方も多いと思う。実際、会社からそんな求める事をきちんと言われる方が稀だと思うからである。
多くの方は自分自信の中で、一人苦悩している方も多いであろう。

一つ参考になれば嬉しいが、私が学んだ事は自らが模範行動する事。
そして、喜びを素直に分かち合う事ではないかと思う。




本を良く読んで

2015年1月11日日曜日

自分のルーツを知る事

1月3日父が他界した。ここに書くような内容ではないかも知れないが心の整理の為、記録の為、にも書く事にした。

正月と言う事もあり火葬場の手配の関係から葬儀が10日となってしまった。
家族にとって、父の遺体と向き合う7日間は本当に長いものであった。

毎日、亡き父の顔を見ては涙が出、普段のふるまいをしようと必死に明るい素振りをしようとしても何かのきっかけで涙ぐむ自分が嫌で嫌で仕方なかった。

葬儀の会葬依頼をする為に、親類関係の名簿を確認した。改まって見る機会も今まで正直無かった。時間があるといろんな事を始めるものだと思う。

親の親類関係なので、普段行き来頂く方と疎遠な方とで極端に分かれてしまう。
我が家の場合、本家筋とは父が短気な性格な事もあり、過去にいろいろ事件があった事が判った。そんな事もあり、父方、本家とは疎遠になってしまったようだ。
喪に服するとはそんなものかも知れない。
自分にとっては何も知らない事は素直な自分の姿であり、ありのままでいいと思うが、父に恥をかかす事はできない事が苦痛である。

親類関係の繋がりを知る事も大事な事であるが、もっと大切な事は家族のルーツを知る、振り返る事だと数日して気付いた。親類あっての自分達かも知れないが、本当に大切な事は家族の絆と生き様、共通の価値観だと思う。

父という事を中心にいろいろな思いが湧き上がる。
小さな時の想いで、楽しかった事、辛かった事、感謝する事。様々である。
そして家族は良きも悪くも常に一緒であった。
日々生活する上で喜び、感謝、憎しみ、時折々様々な気持ちを持ってきた。

しかし、その時は知らなかったその裏にある場面、背景の気持ちを今知る事になる。
厳しい言葉を言われた事もあるが、実は心配してくれた気持ちからの思いであった事も知る事になる。

今、感謝の気持ちを伝えたくても返事をしてもらえない親父を目の前に、目に涙が満ちてくる。
今なら素直になれる自分がいる事に気付く・・・・本当にありがとう。