多くの企業で言われている事に情報の共有化があろう。
私も前職の職場ではしきりに言われてきた。
やり方は様々あるかと思う。メールでの配信。ミーテイング時での報告。
情報の共有化自体は間違った事ではないと思う。
しかし、今までの経験で単に何から何までCC配信をしてこられた事。
前提になる本題、趣旨が何かを見失っている内容の配信など様々であった。
情報の共有の本質は組織内のメンバーが現在起こっている事、知らなくては行けない事、業務上必要なスキル、知識の平準化ではないかと思う。
最悪のケースは単に全てを流して話がモメた際に自分の発言の見方をつけようとする行為ではないかと思う。情報を発信していているだけでマネージメントが済んでいると勘違いするマネージャである。これは目的と手段の吐き違いでしかないであろう。
一部の人間だけで隠密に事が進められる風土より、何かしら情報を配信されている方が安心感があるものの、受け止める方の考え方次第でスルーするか、きちんと受け取るかが決まるので受ける立場も考えて情報共有化の方法も考えなくてはならないであろう。
私も少ない時でも日に150件、多い日には300件近くのメールを頂く。全てが見れる訳ではないのでプライオリテイを考えた情報の共有化が必要であろう。
interaction Design:身の回りの仕組み、環境は複雑化しているが、本質はシンプルである事が多い。 そんな誰もが思う潜在的な本質ニーズは何かを見つめ感動と快適な生活を創造したい。 私ができる事はちっぽけな事だが、多くの人の心に眠っている潜在ニーズを掘り起こすキッカケ作りができたならそんな素晴らしい事はない。
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2015年2月25日水曜日
水と油。協調の仕方探し。
人の考えは10人いれば10色だという事を改めて痛感している。
皆の為と思った事がその人にとっては解ったと言っていても、本当は解ろうとできない(解りたくない)事も多々あるという事。そのような時、言った本人は何故、約束した事が守ってもらえないのか憤りを感じる。その内容が人生を左右するような内容であれば、その気持ちもどんなに大きいだろうか。例えば、親が年老いて、実家の家業を助けようとして退職を決意し、両親の同意を確認した上で実施した時。退職した後、自分に仕事を任せてもらえるものと思っていたら、全くその気が無い事が解った時は失望感と今までの信頼関係が粉々となり憎悪だけが残る。
水と油。例えばフレンチドレッシングに例えて見ると、何も無ければ水分と油は必ず分離している。それを思いっきり振ってみると細かい泡になり混じり合う。その時の色は白く濁る。この時は両者が何かの思いから会話が始まり、一応は合意に至った状態なのかもしれない。しかし、時間が経つと水と油に分かれて行ってしまう。この繰り返しである。
フレンチドレッシングならば単に振ると言う動作の繰り返しでも大きな苦にはならない。しかし、人間同士は会話の中で了解した事に信頼を感じ、その相互了解事項が守られなかった時、信頼が崩れていく。その内容が本人にとって人生を左右する重要な事ならば、尚更だろう。
どうしたら良いのか。根本的に「理解してもらえるように会話ができてないんだよ。」と言う方もいる。本人からすれば、一生を賭けた内容なので今までに無い程、真剣に話をしている。頭を下げる場面もあろう。これ以上どう話をしたら良いのか解らなくて苦悩するであろう。しかし、良く考えれば、何も変わりたくない人にとっては苦痛でしか無いかもしれない。それが将来を考えた良き選択であったとしても変わりたく無い人にとってはそれで良い事かも知れない。
理論的に考えられる人、理屈は解っても今の状況を変えたくない人。人、様々だ。
人間、冷静になれば判る事でも追いつめられた時、自分の事を解ってもらおうとしていくと、理尽くめで説明していく事になっていく。そして合意を取り繕うとする。そしてお互いが表面で解った振りをしているだけで何も変わっていない。しかし、カッカカッカしている本人にはそれが中々判らない。第3者から客観的に見てもらい初めて気づく事になる。
人は大人になれと言う。しかし、本人は憎悪と怒りだけが残っている状態でおさまりが就かない。冷静になれ。
元々、水と油。それも更に拗れてしまった状態で何をどうすれば良いのか?
一つの考え方としてお互いが他人の考えに左右される事なく、それぞれ自分のやり方にあった自立できる妥協点を探り示す事かもしれない。
変わりたくない人に変われと言ってきた事自体が間違っていたのかも知れない。変わりたくない人には変わらないやり方を、変わりたい人には変わるやり方を。皆が同じ考え方を持つ事自体が間違っているのかもしれない。今大事な事は皆が自立していく環境、方法を見いだす事だろう。言葉を変えれば「落とし所」なのかもしれない。言葉では皆がそれぞれ独自にバラバラになるような考え方に思えるかも知れないが実際にはそれが、冷静を保って平和に協調性を保てる良き手段なのかも知れない。
油は安定し普遍的な物だという考える人。水(ドレッシングならばレモン水)は常に刺激を与え活性化しようと考える人。それぞれの良さの「落とし所」を見つければ良いのであろう。逆に油は何度も揚げ物をすれば最後には臭くなり捨てなくてはいけない事を知っていたとしてもそれは自立したそれぞれの者が対処しなくてはならない事としてネガテイブな考えを押し付けるべき事では無いのかもしれない。
人間欲がでれば、自分の考えを人に押し付けてしまう。子供、部下。立場が上に上がれば上がる程、知らず知らずの内に自分の思い通りにしたくなってしまう。そして表面では理解した状況になったとしても本音の部分ではやらされ仕事、不信感を生んでしまうのかもしれない。
もう一つ大切な事は感情を押さえる事。カッカしていれば話にもならない。
同じ視点、レベルで話をしているのではなく、もう一歩先の事を考えて言動をする事。自分の子供に話をする時であれば、出来ない事を自然と教えてあげられるのに、それが、自分の親などであれば何で自分の事を判ってくれないのか?などと必要以上に期待と要望から相手への苛立ちが高まってしまう。これがビジネスライクでは解決できない大きな課題なのであろう。親への視点から、判っていてもできない子供への見方へ自分が変わらなければ苛立ちを止める事はできないのかも知れない。
これは判っていても中々できない。それが、血縁関係の難しさだという事だろう。
どちらにしても深く、難しい事だが、自分が成長しなくてはいけない事だけは確かのようだ。
皆の為と思った事がその人にとっては解ったと言っていても、本当は解ろうとできない(解りたくない)事も多々あるという事。そのような時、言った本人は何故、約束した事が守ってもらえないのか憤りを感じる。その内容が人生を左右するような内容であれば、その気持ちもどんなに大きいだろうか。例えば、親が年老いて、実家の家業を助けようとして退職を決意し、両親の同意を確認した上で実施した時。退職した後、自分に仕事を任せてもらえるものと思っていたら、全くその気が無い事が解った時は失望感と今までの信頼関係が粉々となり憎悪だけが残る。
水と油。例えばフレンチドレッシングに例えて見ると、何も無ければ水分と油は必ず分離している。それを思いっきり振ってみると細かい泡になり混じり合う。その時の色は白く濁る。この時は両者が何かの思いから会話が始まり、一応は合意に至った状態なのかもしれない。しかし、時間が経つと水と油に分かれて行ってしまう。この繰り返しである。
フレンチドレッシングならば単に振ると言う動作の繰り返しでも大きな苦にはならない。しかし、人間同士は会話の中で了解した事に信頼を感じ、その相互了解事項が守られなかった時、信頼が崩れていく。その内容が本人にとって人生を左右する重要な事ならば、尚更だろう。
どうしたら良いのか。根本的に「理解してもらえるように会話ができてないんだよ。」と言う方もいる。本人からすれば、一生を賭けた内容なので今までに無い程、真剣に話をしている。頭を下げる場面もあろう。これ以上どう話をしたら良いのか解らなくて苦悩するであろう。しかし、良く考えれば、何も変わりたくない人にとっては苦痛でしか無いかもしれない。それが将来を考えた良き選択であったとしても変わりたく無い人にとってはそれで良い事かも知れない。
理論的に考えられる人、理屈は解っても今の状況を変えたくない人。人、様々だ。
人間、冷静になれば判る事でも追いつめられた時、自分の事を解ってもらおうとしていくと、理尽くめで説明していく事になっていく。そして合意を取り繕うとする。そしてお互いが表面で解った振りをしているだけで何も変わっていない。しかし、カッカカッカしている本人にはそれが中々判らない。第3者から客観的に見てもらい初めて気づく事になる。
人は大人になれと言う。しかし、本人は憎悪と怒りだけが残っている状態でおさまりが就かない。冷静になれ。
元々、水と油。それも更に拗れてしまった状態で何をどうすれば良いのか?
一つの考え方としてお互いが他人の考えに左右される事なく、それぞれ自分のやり方にあった自立できる妥協点を探り示す事かもしれない。
変わりたくない人に変われと言ってきた事自体が間違っていたのかも知れない。変わりたくない人には変わらないやり方を、変わりたい人には変わるやり方を。皆が同じ考え方を持つ事自体が間違っているのかもしれない。今大事な事は皆が自立していく環境、方法を見いだす事だろう。言葉を変えれば「落とし所」なのかもしれない。言葉では皆がそれぞれ独自にバラバラになるような考え方に思えるかも知れないが実際にはそれが、冷静を保って平和に協調性を保てる良き手段なのかも知れない。
油は安定し普遍的な物だという考える人。水(ドレッシングならばレモン水)は常に刺激を与え活性化しようと考える人。それぞれの良さの「落とし所」を見つければ良いのであろう。逆に油は何度も揚げ物をすれば最後には臭くなり捨てなくてはいけない事を知っていたとしてもそれは自立したそれぞれの者が対処しなくてはならない事としてネガテイブな考えを押し付けるべき事では無いのかもしれない。
人間欲がでれば、自分の考えを人に押し付けてしまう。子供、部下。立場が上に上がれば上がる程、知らず知らずの内に自分の思い通りにしたくなってしまう。そして表面では理解した状況になったとしても本音の部分ではやらされ仕事、不信感を生んでしまうのかもしれない。
もう一つ大切な事は感情を押さえる事。カッカしていれば話にもならない。
同じ視点、レベルで話をしているのではなく、もう一歩先の事を考えて言動をする事。自分の子供に話をする時であれば、出来ない事を自然と教えてあげられるのに、それが、自分の親などであれば何で自分の事を判ってくれないのか?などと必要以上に期待と要望から相手への苛立ちが高まってしまう。これがビジネスライクでは解決できない大きな課題なのであろう。親への視点から、判っていてもできない子供への見方へ自分が変わらなければ苛立ちを止める事はできないのかも知れない。
これは判っていても中々できない。それが、血縁関係の難しさだという事だろう。
どちらにしても深く、難しい事だが、自分が成長しなくてはいけない事だけは確かのようだ。
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